この記事(小旅行記2020−5−9)の
ユーカリが丘〜勝田台訪問に続き、
(2020/5/9土曜日)
およそ1週間後の
2020年5月15日(金)
にも、39都道府県での緊急事態宣言解除の意向を聞き、
いそいそと解除されていない地区に出かけることに。
現・史上最悪首相の私邸=〒151-0063 東京都渋谷区富ケ谷1丁目30−29・富ヶ谷ハイム
を一度見てみたいという気もしたが、
時間とお金の無駄は極力避けて、
秋葉原界隈を歩いてみようかと。
カンが働いたのか、
ヨドバシカメラは全館オープンしていた。
さすがに来客はまばらで、店内は静まりかえっていたが。
ヨドバシの営業再開を誰も知らないんだろう。
スタートレックキットは、
一度ヨドバシ店頭に並んだ商品が売れてしまうと再入荷はないから、
見かけた時に買うしかない。
(ヨドバシで買う場合)
今回店頭に並んでいたのは、
※同一商品かは保証できないのでご確認下さい。
8階のレストラン街は休業中も多かった。
閑散とした店内での営業は、
どの業者もタイヘンだと察しがつく。
秋葉原に来たついでだからと、
ふと思い立ち、レオナルドLG(絶版スケールモデル専門店)にも行ってみた。
模型がらみで、
そういえばこの記事(レベルカラーの過去と未来Ⅱ/無人都市東京2020-4-24秋葉原)に、
現在日本におけるプラモデルの歴史記事でいつも不思議に思うのは、
各航空雑誌に掲載されたプラモデル記事について無視している事です。
酣橙社の航空情報別冊 プラモデルガイド 各誌
レベルとグンゼ産業の蜜月時に刊行された
文林堂 航空ファン別冊 「カモフラージュ/マーキングガイド」1&2
そしてモデルアート社 川添史郎著
「モデラ―ズカラー」1974刊行
「モデラ―ズカラー(新版)」1977年刊行
レベルとグンゼの提携が有り無しでの記事内容の変化。
上記の書籍は、当時限られた情報と色数で模型製作されていた50代の私より上の世代の方々にとっては懐かしい品かと。
実際、20年ぐらい前までは皆さん資料として手元に置かれていたか、あまり古書で見かけませんでしたが、近年は引退や他界されたりして市場で見かけるようになりました。
機会がありましたら手に取ってみる事をおすすめします。お探しの模型塗料の変遷情報の足しになるかと。
——とのことで、コメントを読めば納得、
(DoburokuTao氏にはひたすら感謝)
なるほどその手があったか!
ですが、誰もが自分の専門外は疎(うと)くなるものでして。
おそらく柿沼秀樹氏も、
飛行機モデラー一筋ではなく、
キャラクターキットに興味関心が集中しているんだろう。
今回、D氏の指定図書の図版ネットで探して、
驚くなかれ、
「モデラーズカラー(新版)」は、
以前所有していたのを思い出しました!
俺って、モデラーだったんだなあ。
もっともガンプラブーム以降は、
誰もがモデラーでしたが。
さてここで、
同記事がらみで、
レベルの日本提携先の歴史を紐解くと、
1950年代末から1960年代前半にかけてはマルサン商店が日本における提携企業であり、輸入した製品をマルサン・ラベール提携品として日本版のパッケージで販売していた。
↓
Revellがどうして「ラベール」になるかというと、
「レベル」表記だとlevel(段階・基準)や Rebel(反乱・抵抗分子)と混同され、
フランス語由来のRevellはアクセントが「ベ」(ve)にあるので長音(ベー)で強調。
冒頭のREには、あいまい添え物母音が付されるため、
「ラベール」「リベール」「ルベール」「レベール」「ロベール」のいずれでも大差ないため。
マルサン・ラベール提携品の多くでは、説明書は英語表記のままであり、パッケージもマルサンのロゴマークと「マルサン・ラベール提携品」の文字が入る以外はアメリカ版に準じたものであった。
マルサンは、レベルとの提携以前にはレベル製品のデッドコピーをいくつか作成し、国内で販売していた。そのうちの1つが最初の国産プラモデルとされるノーチラスである。
↓
このくだりに関しては、
このブログのこの記事が詳しい。
(以下引用・青字部分)
マルサン/ラベール提携品は、アメリカで生産したものをマルサンが国内販売したものとばかり思っていましたが、事実は違っていました。
提携が行われたのは、1960年。それ以前から日本でレベルのキットが生産されていたとすれば(中略)
「マルサンーブルマァクの仕事」を引用すると、
『一九六〇年三月、(中略)交渉を開始した。
その四ヶ月後、自宅に座布団や、浮世絵をインテリアに取り入れるほどの親日家である社長のルイス・グレーザーに承認され契約実現の運びとなったが、この商談にはレベル本社も知らないウラがあった。当時同社はロサンゼルスに下請の金型工場を持っていて、その工場長が日系二世だった。そしてその工場長の人脈から当時のレベル社新製品の金型製作を大阪の東金型と埼玉久喜の池上金型に、成型を大阪の昭和精機と岐阜の岐阜精機に、それぞれ下請として発注していたのだ。当時の日米の経済関係からして、まさに今の日本玩具業界が東南アジアに下請工場を多く持っているのと同じ状況だった。(中略)日本国内で製造しているのならば、先に日本で売った方が流通の面でもお互いメリットがあるのではと交渉を開始したのだ。この時までルイス社長は自社の製品が日本で作られていることをまるで知らされておらず、事の真相を知らされて大変驚いたという。しかし親日家という事が幸いし提携プランは順調に進み、同年八月から実現の運びとなった。この提携ブランドは「マルサン・ラベール(初期のころ、レベルはラベールと呼ばれていた)」と呼ばれることになった。九九頁~一〇〇頁』
1964年から1977年の期間は郡是産業(現:GSIクレオス)が提携企業であり、国内販売を行った。
郡是版は組み立て説明書、パッケージとも日本語表示であり、価格も国産キットとほとんど変わらない低価格とされたため、レベルキットの国内普及に大いに貢献した。
ボックスアートやデカールを独自のものとしたバージョンも発売したほか、1/32の雷電、1/72の屠龍や月光、1/144の第二次大戦機シリーズなどの金型を国内で製作し、レベルブランドで発売した。
また、プラモデル専用の塗料を独自に開発し、レベルカラーの名称で販売している。
郡是(1971年からグンゼに改称)産業を引き継いでタカラ(現:タカラトミー)が提携企業となり、国内での生産と販売、及びレベルカラーの製造販売を継続した。パッケージはトリコロールを配した独自のデザインで統一されていた。
レベルとモノグラムの合併に伴い、
それまでモノグラムの輸入代理店だったハセガワがレベル製品の国内販売も行うようになった。
ハセガワも一部のレベル製品を独自デカール、自社パッケージで販売している。
——とのことだが、
グンゼが1964〜1977までだったら、
どうしてタカラの提携年を1978年からでなく、
グンゼと重なる1977年としたのか?
↓これが1977年の広告だったというのもあるが、
他にもSWキットの1978年より前から、
「タカラレベル」ブランドのプラモを見かけた覚えがあるから。
この記事でも触れたように、
↑タカラのプラモのブランドは、あくまでも「レベルタカラ」だったことを示す雑誌広告。
スター・ウォーズのプラモの米本国ブランドはMPC。
しかし日本流通箱は、レベルタカラマークが併記されていた。
↓製品同梱チラシには間に合わなかったが、
↑日本版ボックスにはMPCとレベルブランドが両方ついている。
↓モーターライズ製品2種については日本独自製品なんだから、アルカディア号同様にロゴマークなしでもよかったはずなのに、
↑レベルタカラのブランドが、しっかりと記載されている。
↓1978年までは、タカラのプラモといえば、米レベル社の輸入スケールモデルに自社名を足した箱替えだけだった。
↑タカラは模型事業の一環として、ラッカー系塗料のレベルカラーと、水性塗料のレペも発売。
このたび、レオナルドLGに立ち寄ってみたら、
2012/10/12開店
フォッカー Dr.1とか言うキットが、
タカラレベルで表記は1977
つまり年度末の1977年3月まではグンゼ産業で、
新年度の1977年4月からはタカラ、
あるいは77年前期がグンゼ(58色)、
77年後期がタカラ(85色)、
がレベルの提携先ということになるだろう。
レオナルド・クロニクル2020-5-15
さて、レオナルドLGの話がでたので、
レオナルド周辺事情を久々にまとめておくと、
有限会社レオナルド(本店)は、
2012年7月31日をもって営業終了。
同時にレオナルドETの開店が告知。
Twitterが2012年8月から開始なので、
本店の引き継ぎ店かと思われたが、
並んでいる商品を見る限り、
本店の営業在庫を引き継いだ感じはしなかった。
元レオナルド本店の従業員、新店舗ETの店長さんに本店営業終了までの経緯をうかがうと、
*学級新聞みたいな衝撃の手書き全面広告で、
↑月刊モデルグラフィックス誌1998年2月号に掲載された、レオナルドの、丸々1ページのフル誌面広告「ラ・ガゼッタ」
模型界のドギモを抜いた、
↑同じくMG誌1998年3月号に掲載された、レオナルドの広告。
ただし紙名は「ラ・ガセッタ」…どっちやねん?
型破りな店長さんは、2011年にお亡くなりに。
*最近は従業員への給料も滞りがちで、経営状態の悪化は明らかだった。
*4~6割引のセールをしても、在庫を満足にさばけなかった。
*キットの在庫は閉鎖されたビルの中にそのままあるが、テナント料を払わない限り資産は凍結状態で、誰も手出しできない。
*在庫キットが破損や焼失したわけではないので、いずれは次の展開もあるだろうが、当面の負債額6○○万円(←伏せ字の意味なし!)を、誰かが肩代わりしない限り、事態が先に進まない。
----とのことだった。
興隆ビルと言う建物の、
地上6階/地下1階建の全フロアを在庫で埋め尽くしたはいいが、
いつ来店しても品揃えが変わり映えしないため、
来客も「ここに来ればいつだって買えるさ」と安心しきり、
さしずめ絶版キット博物館になり果ててしまっていた。
また「レオナルド」という模型店ブランドが全店営業終了かと思ったらそうではなく、
各店舗は独立採算制で、8年後の現在でも健在なところもあるだろう。
(※未調査 以下は2012年8月の情報)
〈道連れでお亡くなりの店舗〉
レオナルド 本店
レオナルド4 名古屋店
レオナルド15 広島店
〈健在で絶賛営業中の店舗〉
レオナルド2 横浜店
045-317-8446 神奈川県横浜市浅間町1-10-1
レオナルド5 秋葉原駅前店
03-5207-7152 千代田区外神田4-3-11クリハラビル
レオナルド6 府中店
042-351-4375 東京都府中市本町2-7-1
レオナルド7 熊本店
096-353-7977 熊本県熊本市平成1-9-5
レオナルド11 金沢店
076-261-3855 石川県金沢市西念1-17-13 西尾ビル
〈電話は生きてるが、応答がなかった店舗〉
移動店舗 03-5846-5151
さて、レオナルド本店が2012年7月末で終了し、
レオナルドLGが、10/12に開店し、
本店の在庫が引き継がれたところを見ると、
興隆ビルへのテナント料600万円を肩代わりし、
新店舗を構えるだけの資本が介入したのだとわかるが、
そのLGに2号店があるなんて、
ついこの前の秋葉原訪問、
2020年5月15日に初めて知った。
ここが意外な掘り出し物店でした!
こんな店がいつからあったのか?
2号店の店員は5〜6年前からとっくにあったと言い、
レオナルドLG1号店で聞くと、8年前からあったんだとか。
となると、LG1号店とほぼ同時にオープンだったんだろう。
2018年3月からTwitterを利用しています
——って、そちらはつい最近からですが…。
(LG1号店のTwitter開始は2012年8月から)
それから2日後の日曜日、
2020年5月17日(日曜日)
三郷ピアラシティはたいへんな賑わいでした。
MOVIX三郷は休業のままでしたが。
宇都宮のTOHOシネマズは解除されてるそうだから、
映画を観に出かけようかな。
県をまたいで非解除地区から出かけちゃいかんよ!