これ(書かずばなるまい「失恋ショコラティエ」最終回・前編)の続き。
「失ショコ」最終回の感想をあちこちのぞいてみたら、
不満に感じているのはたいてい(自分を含めた)男性で、
女性はおおむね満足だったことに気がついた。
「失ショコ」は全編の脚本を、
安達奈緒子(この人は、まとも)と
越川美埜子(この人がモンダイ!)の女性二人だけで分担しており、
最終2話の脚本が越川だから、
当人もきっと、
自分がとんでもない失態をしでかしたとは思いもよらず、
反対にあのグダグダな仕上がりを、
かなり気に入っていた…のかも知れない。
この意識のズレは、実は性別に起因するので、
今回のタイトルを「ジェンダートラップ」
すなわち「性別の罠」として、話を進めます。
まず、女性目線からすると、
紗絵子(石原さとみ)に共感するよりも、
Image may be NSFW.
Clik here to view.
自分のあこがれのマツジュン
(松本潤=小動爽太/こゆるぎそうた)を
Image may be NSFW.
Clik here to view.
奪い合うライバル、恋敵(こいがたき)になっているので、
二人に結ばれて欲しくなんかない。
更に加えて、
紗絵子の身勝手なキャラに常々反発を覚えていたので、
彼女には幸せになって欲しくない
という深層心理がある。
ちょうど薫子(水川あさみ)と同じ気持ちで、
Image may be NSFW.
Clik here to view.
紗絵子みたいな、
あざとい女に引っかかる男はバカだ
という思いだってある。
だから、
願いどおりの展開になってくれたことに満足していて、
もしも逆の結果になっていようものなら
不満タラタラ、
放送終了後のネットには、
ブーイングの嵐が吹き荒れていたかも知れない。
それともう一つ、
男性と女性の脳の作りの違い
というのもある。
それを知ったのは、
(またしても)「ホンマでっか!?TV」だったと思うが、
Image may be NSFW.
Clik here to view.
女性が悩み事や相談事を持ちかけるのは、
その中身を誰かに聞いて欲しいからで、
具体的な解決策をアドバイスして欲しいわけではない
という、
およそ男性脳では理解不能な、
↑男性脳の例。
驚愕の事実
を知って、
「はっ、そういえば、あの時…」と、
52年の人生で、
ごくごくごくごく(以下略)限られた女性との交流(笑)で、
思い当たる事例があったことを思い出した。
女性は井戸端会議で、
どうにもならない現状を嘆き合うことでストレス発散となり、
問題の解決自体を望んでいるわけではないのだ。
だからひとしきり打ち明け合った後は、
問題自体は何ら解決していないにもかかわらず、
スッキリとして満足げだったりする。
なんでこれで満足できるかというと、
●放ったらかしでは実際の問題は解決しないから、
解決するには、何らかのアクション(行動)を
起こさなくちゃならない。
●だけどそのアクションが功を奏するかどうかは、
やってみなけりゃわからず、
失敗の可能性だってある。
●失敗したら、ストレスを解消すべく取り組みながら、
事態が解決しないで、余計にストレスがたまることになる。
だったら、何も行動しないで、
ただしゃべるだけでストレスを発散する方を選び取る
という、
これまた、実際の問題解決には、なんら寄与しないから、
男性なら絶対選ばない方を選択してしまう。
つまり女性は根本的に、
問題を解決することに向いていない。
そう考えて初めて、
西川美和監督の映画
『ゆれる』(2006)や、
『ディア・ドクター』(2009)や、
『夢売るふたり』(2012)が、
他にはないユニークな展開で、
上映中は引きこまれて
食い入るように見続けてしまいながらも、
最後は明確な結末に行き着かないことに
観客が戸惑い、
肩すかしを食らう理由が、
この女性監督の中に、
問題解決に主眼を置くという意識が、
かけらもなかったからだと、
今さらながらに気づかされた。
だからいったん、「ディア・ドクター」で、
筋語りの技をせっかくきわめかけたのに、
次作の「夢売るふたり」で、本筋語りには失敗してしまう。
それた話を「失ショコ」に戻すと、
「最終回が本筋語りにしくじったって、
それこそが女性の資質なんだから、かまわないじゃないか。
実際に同じ資質の女性には、
問題なく受け入れられてるんだから」
という意見もありそうだが、
それは違う。
なぜなら、
1.テレビドラマは女性だけが見るわけではなく、井戸端会議でもないから、女性が満足するだけのものでは、作品としての成立条件を満たしていない。
2.映画やドラマのシナリオというのは、問題解決のプロセスを描くものだという基本原則があり、この原則を満たさない限り、欠陥品、不良品とみなさざるを言えない。
----からである。
ということを心得ている(=物語の何たるかをわきまえている)作家、脚本家であれば、
男女を問わず、この原則を遵守しているし、
そこに思い至らない作家は、男性であろうと、欠陥品を平気で納品し続ける。
それで通用するのは、せいぜい
●「作品の意味や結末は、読者の判断に委ねる」と、平気でほざく似非作家が横行している小説とか
●連載の継続や中断が、作者自身だけの意志では決められないため、未完でも責任を問われないマンガとか、
●女性観客があてこまれ、成立、存続している、舞台や芝居
ぐらいのもの。
たとえば、
蜷川実花の映画は、
「さくらん」(2007)にせよ、
「ヘルタースケルター」(2012)にせよ、
個々の場面の撮影には凝りに凝るけど、
一貫した筋を語る能力がないから、
その意味では映画として欠陥品なんだけど、
それを誰も指摘しないでそのままなのは、
彼女の周囲にもそれを理解している人が誰もいないからで、
その筆頭が、舞台演出家として著名な、彼女の父、
蜷川幸雄だったりする。
まあとにかく、自分の仕事の神髄や本質をわきまえないまま、手探りのアマチュアレベルで、責任を負いきれないプロの座に居座ってる不届き者が多すぎるよ。
そういう中途半端なことは、せいぜいお芝居(舞台)で存分にやってくれたまえ。
失恋ショコラティエ DVD-BOX
posted with amazlet at 14.03.28
ポニーキャニオン (2014-09-10)
売り上げランキング: 116
売り上げランキング: 116
「失ショコ」最終回の感想をあちこちのぞいてみたら、
不満に感じているのはたいてい(自分を含めた)男性で、
女性はおおむね満足だったことに気がついた。
「失ショコ」は全編の脚本を、
安達奈緒子(この人は、まとも)と
越川美埜子(この人がモンダイ!)の女性二人だけで分担しており、
最終2話の脚本が越川だから、
当人もきっと、
自分がとんでもない失態をしでかしたとは思いもよらず、
反対にあのグダグダな仕上がりを、
かなり気に入っていた…のかも知れない。
この意識のズレは、実は性別に起因するので、
今回のタイトルを「ジェンダートラップ」
すなわち「性別の罠」として、話を進めます。
まず、女性目線からすると、
紗絵子(石原さとみ)に共感するよりも、
Image may be NSFW.
Clik here to view.

自分のあこがれのマツジュン
(松本潤=小動爽太/こゆるぎそうた)を
Image may be NSFW.
Clik here to view.

奪い合うライバル、恋敵(こいがたき)になっているので、
二人に結ばれて欲しくなんかない。
更に加えて、
紗絵子の身勝手なキャラに常々反発を覚えていたので、
彼女には幸せになって欲しくない
という深層心理がある。
ちょうど薫子(水川あさみ)と同じ気持ちで、
Image may be NSFW.
Clik here to view.

紗絵子みたいな、
あざとい女に引っかかる男はバカだ
という思いだってある。
だから、
願いどおりの展開になってくれたことに満足していて、
もしも逆の結果になっていようものなら
不満タラタラ、
放送終了後のネットには、
ブーイングの嵐が吹き荒れていたかも知れない。
それともう一つ、
男性と女性の脳の作りの違い
というのもある。
それを知ったのは、
(またしても)「ホンマでっか!?TV」だったと思うが、
Image may be NSFW.
Clik here to view.

女性が悩み事や相談事を持ちかけるのは、
その中身を誰かに聞いて欲しいからで、
具体的な解決策をアドバイスして欲しいわけではない
という、
およそ男性脳では理解不能な、
↑男性脳の例。
驚愕の事実
を知って、
「はっ、そういえば、あの時…」と、
52年の人生で、
ごくごくごくごく(以下略)限られた女性との交流(笑)で、
思い当たる事例があったことを思い出した。
女性は井戸端会議で、
どうにもならない現状を嘆き合うことでストレス発散となり、
問題の解決自体を望んでいるわけではないのだ。
だからひとしきり打ち明け合った後は、
問題自体は何ら解決していないにもかかわらず、
スッキリとして満足げだったりする。
なんでこれで満足できるかというと、
●放ったらかしでは実際の問題は解決しないから、
解決するには、何らかのアクション(行動)を
起こさなくちゃならない。
●だけどそのアクションが功を奏するかどうかは、
やってみなけりゃわからず、
失敗の可能性だってある。
●失敗したら、ストレスを解消すべく取り組みながら、
事態が解決しないで、余計にストレスがたまることになる。
だったら、何も行動しないで、
ただしゃべるだけでストレスを発散する方を選び取る
という、
これまた、実際の問題解決には、なんら寄与しないから、
男性なら絶対選ばない方を選択してしまう。
つまり女性は根本的に、
問題を解決することに向いていない。
そう考えて初めて、
西川美和監督の映画
『ゆれる』(2006)や、
『ディア・ドクター』(2009)や、
ディア・ドクター [DVD]
posted with amazlet at 14.03.28
バンダイビジュアル (2010-01-08)
売り上げランキング: 28,814
売り上げランキング: 28,814
『夢売るふたり』(2012)が、
夢売るふたり [Blu-ray]
posted with amazlet at 14.03.28
バンダイビジュアル (2013-03-06)
売り上げランキング: 44,396
売り上げランキング: 44,396
他にはないユニークな展開で、
上映中は引きこまれて
食い入るように見続けてしまいながらも、
最後は明確な結末に行き着かないことに
観客が戸惑い、
肩すかしを食らう理由が、
この女性監督の中に、
問題解決に主眼を置くという意識が、
かけらもなかったからだと、
今さらながらに気づかされた。
だからいったん、「ディア・ドクター」で、
筋語りの技をせっかくきわめかけたのに、
次作の「夢売るふたり」で、本筋語りには失敗してしまう。
それた話を「失ショコ」に戻すと、
「最終回が本筋語りにしくじったって、
それこそが女性の資質なんだから、かまわないじゃないか。
実際に同じ資質の女性には、
問題なく受け入れられてるんだから」
という意見もありそうだが、
それは違う。
なぜなら、
1.テレビドラマは女性だけが見るわけではなく、井戸端会議でもないから、女性が満足するだけのものでは、作品としての成立条件を満たしていない。
2.映画やドラマのシナリオというのは、問題解決のプロセスを描くものだという基本原則があり、この原則を満たさない限り、欠陥品、不良品とみなさざるを言えない。
----からである。
ハリウッド脚本術―プロになるためのワークショップ101
posted with amazlet at 14.03.28
ニール・D・ヒックス Neill D. Hicks 浜口 幸一
フィルムアート社
売り上げランキング: 37,765
フィルムアート社
売り上げランキング: 37,765
ということを心得ている(=物語の何たるかをわきまえている)作家、脚本家であれば、
男女を問わず、この原則を遵守しているし、
ハンガー・ゲーム [Blu-ray]
posted with amazlet at 14.03.28
角川書店 (2013-10-25)
売り上げランキング: 6,861
売り上げランキング: 6,861
そこに思い至らない作家は、男性であろうと、欠陥品を平気で納品し続ける。
それで通用するのは、せいぜい
●「作品の意味や結末は、読者の判断に委ねる」と、平気でほざく似非作家が横行している小説とか
●連載の継続や中断が、作者自身だけの意志では決められないため、未完でも責任を問われないマンガとか、
●女性観客があてこまれ、成立、存続している、舞台や芝居
ぐらいのもの。
たとえば、
蜷川実花の映画は、
「さくらん」(2007)にせよ、
さくらん Blu-ray スペシャル・エディション
posted with amazlet at 14.03.28
TCエンタテインメント (2012-09-05)
売り上げランキング: 58,047
売り上げランキング: 58,047
「ヘルタースケルター」(2012)にせよ、
ヘルタースケルター スペシャル・エディション(2枚組) [Blu-ray]
posted with amazlet at 14.03.28
Happinet(SB)(D) (2012-12-21)
売り上げランキング: 4,735
売り上げランキング: 4,735
個々の場面の撮影には凝りに凝るけど、
一貫した筋を語る能力がないから、
その意味では映画として欠陥品なんだけど、
それを誰も指摘しないでそのままなのは、
彼女の周囲にもそれを理解している人が誰もいないからで、
その筆頭が、舞台演出家として著名な、彼女の父、
蜷川幸雄だったりする。
蛇にピアス [Blu-ray]
posted with amazlet at 14.03.30
アミューズソフトエンタテインメント (2012-05-25)
売り上げランキング: 4,477
売り上げランキング: 4,477
まあとにかく、自分の仕事の神髄や本質をわきまえないまま、手探りのアマチュアレベルで、責任を負いきれないプロの座に居座ってる不届き者が多すぎるよ。
そういう中途半端なことは、せいぜいお芝居(舞台)で存分にやってくれたまえ。