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適性について(その2)「ヤマト2199」

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これ(24話「遥かなる約束の地」に寄せて・その1「宇宙戦艦ヤマト2199」)のつづき。

24話についてではなく、適性に関しての話。

「2199」総監督が、「確実に当てる人」でなく、
「ことごとく外しかねない人」ではないかという懸念と共に、
やけに自信満々なのも、気になった。

こちらの記事より転載)

出渕監督: 自分のなかで美しい理想の『ヤマト』が出来上がっている往年のファンが多いのは、百も承知。
旧作のファンを裏切ることなく、若い人にも楽しんでもらえるというバランスを持った作品を心がけました。
でも、まぁ元々の『ヤマト』が素晴らしいので、大丈夫だと思っています。

色々ツッコミたくはあるが、
「大丈夫だと思っています」
の自信の根拠が何なのか、さっぱり解せなかった。

たまたまインタビュー記事の一箇所を針小棒大にあげつらっているわけじゃなく、
同様の趣旨(まあ大丈夫だと思っている)は、他でも見聞きした。

「2199」で氏が抜擢されたポジションは、長年続けて来たデザイナーではなく、
超話題作・注目作のシリーズ総監督(総合演出)という、ほぼ未体験に等しい役職。

だけど抜擢されたらたちまち、演出の手腕が身につくはずなんかない。

脚本だったら、何本も実際に書かなくちゃ、良い脚本は書けないし、
演出だって、何本もこなさなくちゃ、良い作品は作れない。

その道に向いてない人は、何本書こうが、満足な脚本は書けないし、
何作撮っても、うまくならない。

そういう訓練や下準備が整い、脚本家、監督(演出家)としての物の考え方が身についているとは、「ラーゼフォン」1タイトルだけじゃあ、言い切れないはずなのに。

なによりも、自らがその件に言及しない(例:総監督という、ほぼ未体験に等しい役目に、不安もありますが/身が引き締まる思い等々)ことにも、雲行きのアヤシサを感じた。

と思ったら、いざ「2199」が始まってみると、あんのじょう、演出の観点から見ると、なかなかひどかった。

辻褄がどうこうで張り合うのはウンザリなので、一言でいえば「つまらない」。
よくぞこんな極上のネタで、こんなまずい料理ができあがるもんだ。

このひどさ、まずさについては、
ここのところ執拗に「極端、過保護に庇(かば)い立て」したり、「心酔と崇拝のあまり、あがめ奉(たてまつ)って、不自然なまでに正当化」を延々と続けてくる特定個人の意見(もちろん、大半のまともな読者の方には関係ないので、掲載なんかしません=いずれ特集します)がウザ過ぎて、
それを刺激しないようにと、少しトーンダウンしてたんだが、
どう書いたところで、その狂気を変えることはできっこない(すでに「起動済み」だから、今さらソフトに書いても、食ってかかってくる姿勢は変わらない)し、
(これを読んでも、まだコメントして来かねないんだよなあ。コワイよー。書いてくんなよ、結晶!
昨日(9/16)、『イントゥ・ダークネス』をようやく見て(明日レビューします)、
やはり、愚作の極みである「2199」糾弾の姿勢を緩めるべきではないと、
あらためて思いを強くさせられた。

詳しくはまた稿を改めるが、
こちらの憤りにも等しい疑念は、
いったい誰のための作品なのか、ということ。

つまり「2199」で誰が最大の受益者かというと、
それはもっぱら総監督一人だけで、
それ以外の人は誰も得しないどころか、
彼が得するために、わざわざお金まで払わされている。
これを搾取と呼ばずして、何と呼ぶ?

消費者は賢く、ナメられない存在にならないとね。

そんなこんなで、「適性」がらみで「2199」演出に話を戻せば、
わかりやすく本筋を伝えようとする意志が、まるで感じられない。
なんか別の話に持って行こうとしてるんだけど、その道筋も乱雑。
アニメ、つまり映像作品なのに、そのものズバリの「絵」で見せないで、「セリフだけで済ます」ことが多すぎる。

そしたら先週の、実にコメント65件以上の記事で、
露草さんが、以下のようなご指摘をくださった。

(以下転載)

今しがた買ってきたグレートメカニックって雑誌に2199で脚本をつためた「スタジオぬえ」の森田繁さんのインタビューが載っていて、その中の一部に非常に興味深い事が書かれていました。
その部分を転載すると
『一番最初に、出渕監督から提示された構成表は、オリジナルのTVシリーズ全26話をほぼ忠実に再現したものでした。
 それを、我々ライターチームは真っ先にひっくり返しちゃった(笑)。だって、21世紀の作品としてはもう、40年近く前のガミラス像では視聴者も自分たちも納得出来ないですから。
 出渕監督としてはヤマトに対する強い思い入れがあるので、「それをそのままできないか」という気持ちが強かった。でも、ライターチームがほぼ一丸となって「後半はもう全然違う話になるんじゃないの」といって話し合ってきた結果、現在の『2199』の方向性が出来てきたんです』(原文ママ)
と、言う事らしいです。
2199がこうなったA級戦犯は出渕監督ではなかった!
――が、総監督だったらアホ毛とか全体の構成とか、もうちょっと頑冥に反対してもうちっとどうにかできなかったのかと、勝手な視聴者としては思ってしまう次第です。少なくとも旧作をなぞる限りはヤマトクルーがあそこまで空気にはならなかっただろうに・・・。
いえ、ガミラスの描写は2199素晴らしいのでその部分は私2199の中でも大好きなんですけどね、肝心要のヤマトクルーの描写が…。

…総合的に見たら舵を切った先でやっちまってはいるのでそういう意味じゃ今の評価は変わらないっちゃあ、変わらないですが、私の中では出渕さんの評価が多少上方修正されましたw


とのことで、たしかにおっしゃるとおり、
脚本の責任は総監督一人にはないかもですが、
そこを軌道修正するのが、総監督の役目ですからね。

だいたい、スタジオぬえなんて、思い出したように時折の仕事だけで、
よく生計を立ててるなってぐらいの、無責任オタク集団なんだから、
(失礼ながら、森田繁なんて聞いたことないよ。脚本家として一人立ちしてない証拠)
総監督の立場で、いいなりになってどうする?

そもそも、これ(セリフだけで説明)で視聴者に伝わると思ってるなら、もうそれだけでアニメ演出家として完全に失格だと思いますよ。

これって、アレでしょ?
監督ってワンマン独裁が当たり前の業界で、

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-gaga

自分は協調性のあるところを示そうって言う、
引きとか後退の姿勢でしょ。

自分の中に、「これだ」っていう確固たる方向性があれば、ブレるはずないじゃん。

「今回は、これこれこういう事情があったから、やむをえない」
は、次回もまた必ず、
「今度はこういう(別の予測しなかった)事態になってしまい」
を延々とくり返す。

制作中に諸問題の発生しない作品なんてない。
それを切り抜けるのが監督の役目。
まさに船の船長の役目。

ジェームズ・キャメロン監督の現場は、ほとんどガテン系のノリで、まさに修羅場。
スタッフはひたすら過酷な要求をこなすしかない。
悲鳴をあげる者も、数知れず…

だけど観客は、妥協なく、つくりこまれたものを享受できる。
一方で、スタッフとなれ合った妥協の産物を押しつけられる「2199」の観客や視聴者って、一体…。

私には、「2199」のどこが、
旧作のファンを裏切ることなく、若い人にも楽しんでもらえるというバランスを持った作品を心がけました。
なのか、さっぱりわからない。

まあ、ごくごくごく一部の、若い人には楽しめてるようだけど、
私には、さんざんなめられた挙げ句に、
「ここは、こういう演出意図に基づいているんじゃ」とか、(こいつに演出プランなんて、あるわけねーだろ!)
「このシーンには、異星人同士の和解と相互理解が示されている」(いっしょにパフェ食ってるだけじゃん!)とか、
とにかく好意的、共感的かつ、過保護にあつかう気には、とうていなれませんよ。

そもそも、今回の「グレートメカニック」の記事は、どうして出たのか?
「2199」への不満が、世間に渦巻いてることへの火消しでしょ?

記事を読まない人だっているんだし、作品に経緯や顛末を添えることもできないんだから、何の言い訳にもならないよ。

「2199」擁護者や信者、患者の諸君!
問題は「だけ」とか「しか」にある。

明日の私のブログ、「スター・トレック イントゥ・ダークネス」の感想を、ぜひ読んで欲しい。

※ただし、結晶さんの感想や意見だけはお断りします。


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