【臨時記事】
2018/9/23の日曜日は、
SW(スター・ウォーズ)の大きな区切りの日になった。
まずは、DORO☆OFF展示会の2日目で、
実に25年ぶりとなる大任を果たした。
その前段は、初日の9/22土曜日。
出展者の中に、
なつかしき海洋堂のソフビ、1992年製のダース・ベイダーを出品した人が!
画像はDORO☆OFF出品ではなく、このページより。
これを見て、ふと思い出した。
1992(93?)年からの海洋堂の1/6ソフビSWフィギュアシリーズには、
私が1991(92?)年にスカイウォーカー・ランチ初来訪時にアーカイブ(資料館)で撮影した、
映画プロップ類の写真を資料用に提供したため、
渋谷は円山町にあった海洋堂ホビーロビーで、ソフビ製品だけでなく、
先行キャスト版ももらっていたことを。
その後、転職と転居が重なり、
キャスト版は箱がなくなり、
部品ごとにジップロックに封入。
今では段ボール箱にまとめて、寝床の横に積み重ねられている。
しかしキャストの重量で段ボールが崩れ、
中身が見えた状態だった。
私はモデラーではないので、
キャスト品の組み立ても塗装もしないまま、
気がつけば25年以上が経過。
そこにDORO☆OFF展示会に、
ソフビとはいえ、海洋堂ベイダーの立派な完成品が登場。
これは、と、出品者に、我が家のキャスト版を託すことに決定。
帰宅後に、翌日に備えて荷造りすると、
かなりの分量と重量になることが判明。
すっかりくたびれた布製バッグにまとめて詰め込み、
翌朝を待った。
土曜日はDORO☆OFF前に、
『累—かさね—』を観たが、
日曜日は、『ザ・プレデター』を観ることに決めていた。
『プレデター』(1987)
『プレデター2』(1990)
までは見ながら、
2010年の『プレデターズ』は未見だった。
2012/8/26の「日曜洋画劇場」
2014/1/31の「金曜ロードSHOW!」
2015/11/8の「日曜洋画劇場」
のテレビ放映3回ものきなみ見逃し。
ようやく2018/9/21の「金曜ロードSHOW!」で見たこともあり。
『プレデターズ』には、ハンゾーという日本人ヤクザが登場。
演ずるはルイ・オザワ。
本名はルイ・オザワ・チャンチェン(Louis Ozawa Changchien)と、
日本人なのか、中国人なのか。
日本人の母と台湾人の父を持つ。
英語の他に流暢な日本語を話し、日本のメディアには日本語で対応している。
洋画での日本人俳優の活躍って、
渡辺謙か
真田広之か
ばっかりで、
現地でのし上がってきた人って、
マシ・オカぐらいのもんだよな。
そういや、ティム・バートン版の『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(2001)で、
ケリー=ヒロユキ・タガワっていたけど、
一発屋だったなあ。
プロモーション来日時は、
本人の指示でケリー表記だったのが、
「ケイリー」(Cary)の由来は、母親がケーリー・グラントが好きだったことによるもの。
なので修正されたらしい。
しかしグラウンド=groundがグランド
↑ウルトラマンロッソ グランド
↓ウルトラマンブル グランド
エンターテインメント=entertainmentが
ネコ・パブリッシング (2018-09-04)
売り上げランキング: 6,012
エンターテイメント表記があるように、
現地読みに則すと、綴り文字を一々拾わないことはよくある。
Caryがケイリーでなくケリーなら、
Gary Kurtzも、ゲイリー・カーツじゃなくて、ゲリー・カーツだよな、
だけどゲリーは日本じゃ語感が悪いよな、
——等々のとりとめのない思いで、電車に揺られていた。
当初は新宿TOHOシネマズまで、
海洋堂SWキットを詰め込んだ重すぎるバッグを抱え込み、
『ザ・プレデター』鑑賞後に、(トクきっぷが東京メトロしか使えないため、浅草橋駅ではなく)秋葉原駅から徒歩で20分かけて、
DORO☆OFF会場の東商センターにたどり着く予定だったが、
この歳でその重労働はとてもムリ。
そこでまずは浅草駅で下車。
タクシーで東商センターに向かい、
バッグをとりあえず現地に置いてから、
同じタクシーで秋葉原駅に向かう作戦に変更した。
幸いなことに、
早朝(午前7時前)なのに、会場の東商センターはなぜか開いていた。
2010年末頃に、ティム・エルドレッドと宇宙戦艦ヤマトめぐりをした際、
ここ数年は必ずDORO☆OFFで再会する。
「どこに住んでるの?」
ときいたら、
なんと、会場の東商センター上階の、
住宅部だというからオドロキ!
【以下、機密情報はカーソルをあてて閲覧下さい】
住人が締め出されないように、
展示会場ながらいつでも開場しているおかげで、
無事にずっしり重い荷物をひそかに安置。
映画『ザ・プレデター』鑑賞後、
(鑑賞記は後日のブログで。「特に急ぎません」で察して下さい)
戻って来ると、置いた場所がクローズされててあせったが、
簡単操作で事なきを得、
無事に本来持つべき人に託せて一安心。
タクシー代だけ、ありがたくいただきました。
帰宅後にフェイスブックに、
『スター・ウォーズ』(1977)
『SW 帝国の逆襲』(1980)のプロデューサー、
(ほんとだったらゲリー・カーツ表記がふさわしい)
ゲイリー・カーツの画像がアップされて訃報を知り、
そういや、今朝ちょうど、
彼の名前を思い出してたっけ
と感慨深い。
2010/8/13の、
SWセレブレーション/フロリダでインタビューしたが、
ここに転載します。
——ジェイソン(・ジョイナー/イギリスに拠点を移したカーツが手を組んでいるビジネスパートナー)とは、うまくいってますか?
(ちょっと警戒した表情で)「ああ、(それが何か? なんだこいつ?)」
——ボク、イギリスに旅行した時、彼の家に泊めてもらったんですよ。もう20~30年ほど前ですけどね。
「ああ、そうなのか(なんだ、そういうことか)」
※ジェイソン・ジョイナーについては、いずれ皆様にお話する時が来るかも知れません。
——「『5/25/1977』って、どうなったんでしょうか?」
※ SWファンの騒動を描いた映画といえば、『ファンボーイズ』(2008・日本公開2010)が思い出されるが、2000年頃から、1作目『スター・ウォーズ』の公開初日を描いた青春映画『5/25/1977』が企画されていたはず……なのに、完成のウワサが全く聞こえてこない。
「実現にこぎ着けかけると、新たに別のゴタゴタがって感じでね。シカゴの出資者と別の出資者が仲間割れして互いに訴え合ったりしちゃって、結局完成のめどがたたずじまいなんだ」
----トレードマークのあごひげを、いつから剃られたんですか?
「ああ、ずいぶん前から剃りっぱなしだよ。1990年からだね」
※カーツは自己破産を幾度か経験しており、その何回目かでの「ゲンかつぎ」だったと推測される。もちろん、面と向かってその話はしませんでした。
----まったく個人的な意見ですが、私に取ってのSWは、(カーツがプロデューサーをつとめた)最初の2本(『スター・ウォーズ』と『帝国の逆襲』)だけです!
無言で強く頷き合い、固い握手を交わしたのであった。
カーツはルーカスと訣別した後、
自分と家族のために複数保有していた世界中のSWグッズを、
ベスのコレクトマニア(Beth's Collect-O-Mania)というアンティークトイショップに売却。
この店はSWグッズに不案内だったため、
スティーブ・サンスイートが値付けに協力。
代償に、真っ先にこれぞというものを優先的に取り置きしてもらい、
それつながりで私もかなり早い段階で、
ケナー社の激レアトイをゲット。
つまり私のSWトイコレクションの一部は、
元をたどれば、ゲイリー・カーツの所有物だったわけ。
先述した、
ジェイソン・ジョイナーというのは、
この記事に書いたが、これまたリンク先は読まれないので、
ここに転載。
世界最大のSWコレクションと言えば、
世間は誰でもサンスイートと認知しながら、ギネス記録に載ったのは、実は今回が初。
それまでは、最大SWコレクションの保有者は、1996年以来、2013年版まで、ずっとジェイソン・ジョイナーとされていた。
はい、知る人ぞ知る、虚言癖のジョイナー君です。
先だって亡くなられた、伊藤秀明氏の編集した「ふぁんろーど」に、80年代後半に掲載されたアドレスに手紙を送って交流が始まり、
彼がまだ18歳の時に、彼のイギリスの自宅に泊まった。
むかーしから、「持ってるよ。でも今はちょっと見せられない」を言い続けてた。
1999年頃、
インスパイアの忘年会に出席してたら、
ケータイに見知らぬ番号から着信、
出てみたらジョイナーだった。
海外イベントで日本人参加者から、
私のケータイ番号を聞き出したんだろう。
昔からよく国際電話をかけてきて、
GIジョーとかを問い合わせてきてたっけ。
イギリス英語で、電話口で「チカラジョー」と連呼され、
Takara Joe、つまりコンバットジョーのことだった。
また脱線したが、
それはともかく、
カーツ/ジョイナー・アーカイブと
(ジェイソン)ジョイナーとの連名になっている。
というわけで、
9/23は、私だけの奇跡の偶然の積み重ねが集約した一日だったので、
運命と導きのありがたさに、ひたすら感謝続きの1日だった。
きわめて個人的なお話しですが、
9/23がSW区切りの日だったと、ようやくおわかりいただけたでしょうか。