本日(8/4)より公開。
『祈り』(1967)
2018/6/29 試写にて鑑賞
『祈り』
Vedreba/1967年/ジョージア映画/ジョージア語/白黒/78分/シネマスコープ/DCP/字幕 児島康宏(原作:冨山房インターナショナル6月刊)
19世紀ジョージアの国民的作家V・プシャヴェラの叙事詩をもとに、モノクロームの荘厳な映像で描いた作品。
ジョージア北東部の山岳地帯に住むキリスト教徒とイスラム教徒の因縁の対立を描き、敵味方を超えた人間の尊厳と寛容を謳う。
「ジョージア」といっても、
アメリカのジョージア州ではなく、
ロシアの旧表記グルジアのこと。
遠景と近景の人物をワンショットにおさめる勇猛なカメラワークや、
特撮を使用せずにカメラ内処理だけで斬新な映像を生み出すなど、
たいへん真面目な製作姿勢に頭が下がるが、
私のような俗世人間には、「猫に小判」だったようで。
映画ってしかし、もっとも旬な題材を扱うからこそ意義と価値があるんで、
映画芸術とお高く位置づけ、
世離れした孤高の作品を、
年代を遠く隔てて公開したってしょうがないと思うんだが。
世ズレした人は、世ズレした映画を好んで見る。
『祈り』(1967)
『希望の樹』(1976)
『懺悔』(1984)
のテンギズ・アブラゼ監督三部作も、
世ズレの殿堂、
岩波ホールで上映される。
むかしなら、
地方の単館(今ならシネコン)上映でも集客が見込めず、
東京ならせいぜい、
岩波ホールとか、
現:国立映画アーカイブ
とかでしか鑑賞できない作品である。
ちなみに、
私は岩波ホールにも、
国立映画アーカイブにも、
一度も立ち寄ったことがありません。
ところがたとえば、
地方出身者が、
地元であてがわれていた映画はクソで、
岩波ホールで上映されるような映画こそが本物と勘違いすることがよくある。
新興宗教に引っかかるようなもんだと思うが、
抜け出せなくなる人も意外と多い。
埋もれた隠れた名作なんて、
しょせんは埋もれて隠れる運命だった気がするが。
私への試写状はマイナーな映画ばかりが届くので、
この機会に、
さっぱりピンと来なかった映画を挙げておくと、
『アワーミュージック』(2004)
『ハーフェズ ペルシャの詩』(2007)
反対に、なんでこんな古い映画を?と疑問視しながら、
意外と楽しんだのは、
『白い馬』(1953)
『赤い風船』(1956)で、
後者は日本では、1956年に有楽座で『沈黙の世界』と同時上映されたが、その後、権利問題等で上映機会が限られてきた。
2008年7月26日から、カフェグルーヴ、クレストインターナショナル配給の下、デジタルリマスターされたものが劇場公開された。
この2作は見ものですよ!
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『アワーミュージック』は映画館で観たが、
カメラが草むらをかきわけて、水辺に出る冒頭部でウトウト。
ぐっすり眠って、起きたらまた同じシーンに戻っていた。
ジャン=リュック・ゴダールの作品など、
実は始めて観たが(いや、大半を寝過ごしたが)、
どこがいいのかさっぱりわからず、
その年末の「映画秘宝」で、
柳下毅一郎氏が印象作に挙げていて、
「わからん」と首をひねった。
『ハーフェズ ペルシャの詩』は、
なんでイラン映画に麻生久美子が?
と、おそらく誰もが思う疑問/関心だけで試写を観たが、
上映の大半を寝過ごし、
謎は解けないままだった。
Wikiによれば、
麻生久美子の海外初進出作品である。
ジャリリ監督は、ロカルノ映画祭に出品されていた『カンゾー先生』での麻生の演技に感銘を受け、彼女を主演に起用した。
麻生はペルシア語を覚えるのが早かったが、ナバートは外国暮らしが長くペルシア語があまり上手くないという人物設定だったため、スラスラとセリフを言ったところ、NGになってしまった。
主人公ハーフェズを演じたモラディは敬虔なイスラム教徒で、女性の目を見たり触れたりしてはいけなかったが、ジャリリも麻生もそのことを後になって知った。
バイクに2人で乗るシーンで、麻生がモラディの腰に手を回してしまった時には、懺悔の祈りをしていたという。麻生曰く、メヒディは「本当に嫌そうだった」とのこと。
撮影から完成まで2年半が費やされた。
——とのことである。
さてここから麻生久美子で強引につなぐと、
私はサッパリ良さがわからなかったのに、
一部に猛烈に支持された不可解作と言えば、
『ウルトラミラクルラブストーリー』(2009)
という、
松山ケンイチと麻生久美子主演の作品があった。
一応シネコンで観て、そのしっちゃかめっちゃかぶりに悶絶したが、
ラジオ番組での本作の感想で、
「今年度最高傑作」と評する人がいて、
パーソナリティが「そこまで断言しちゃってダイジョブですか」
と心配してたが、
私はこの「最高傑作」評価者が、今どう過ごしているのかさえ心配になる。
評者の見識を疑うと言えば、
柳楽優弥(やぎら・ゆうや)が主演の『包帯クラブ』(2007)ってのもホントにひどかったが、
ミクシィでまるで名作のように語る人がいて、
「そういう見方もあるのかな」と自信が揺らいだ。
ところがその人は、よりによって『ダークナイト』(2008)を観て、
「こっちは元気をもらうために映画を見に行ってるのに…」
と酷評。
『包帯クラブ』なんかを観て元気が出て、
『ダークナイト』を観て萎えるなんて、
そもそも映画を見抜く目がないじゃんかと見かぎった。
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俗に映画誌に批評を載せる人だってピンキリで、
某映画ライターが
『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009)をIMAXで観たというから、
「IMAXの効果のほどは?」と尋ねると、
「IMAXかどうかが問われるような作品じゃない」とのつれない返事が。
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「いやいや、あんたがIMAXで観たって言ったんだろ」と心の中でツッコミを入れたが、
とにかくみんな、
自分の発言や映画評にはもう少し一貫性を持って、責任ある発言をして欲しいよ。
しょうもない映画と言えば、
原作がどうしようもないのも多く、
「陽気なギャングが地球を回す」(2006)
『アヒルと鴨のコインロッカー』(2006)
『Sweet Rain 死神の精度』(2008)
『重力ピエロ』(2009)
『ゴールデンスランバー』(2010)
と地獄の五連不発弾を喰らわした原作者・伊坂幸太郎とか、
『告白』(2010)1作を観れば、
こいつ(湊=みなと・かなえ)が原作の映画やドラマはどうせダメと察しがついたので、
『北のカナリアたち』(2012)も、
『白ゆき姫殺人事件』(2014)も、
敬遠して絶対に観なかったのと、事情は相通ずる。
湊かなえの作家転向の動機は、
主婦のままで一生を終わらせたくない
だったそうだが、
見る目のない編集者に見出されて?作家として認められてしまい、
作風は「いやミス」、つまり後味の悪い読後感を売りにするという、
とんでもない反則技に逃げた。
人をイヤな気分にするのを売り込むなんて。
この記事(最後のランナー(2016))で述べた、
「オレはこの道を行く」はその人の勝手だが、
送り手になる立場の責任と適性の判断基準は、
「受け手に苦痛を強(し)いないこと」で、
この観点からすると明らかに不適任、
真のプロ作家とは言い難いのに、
延々とはびこっている似非(えせ)クリエイターが多すぎる。
——に、ドンピシャリあてはまるじゃないか!
湊かなえは今年の直木賞も逃したが、
彼女が受賞すれば日本の終わり、
(もうとっくに終わってますが…)
村上春樹がノーベル文学賞を受賞すれば世界の終わりだと真剣に考えている。
はてさて、ダメ作家といって思い出すのがもう一人。
山田悠介で、
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- ウルトラマンジード(2017)
- シリーズ構成は乙一名義、脚本は安達寛高(本名)名義。
- 劇場版 ウルトラマンジード つなぐぜ! 願い!!(2018)
- 坂本浩一監督作品。脚本協力:安達寛高。
- ウルトラマンR/B(2018)
- 安達寛高名義で脚本参加。
——と、生き残っている。
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と感じる方々ではないでしょうか。