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映画『ひろしま』に思う〈その2〉

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一応、これのつづき。

戦争体験者の声を、その人達がご存命のうちに聞いておき、その教訓を後世に生かすべき、というのはよく聞く話で、そういう声を集めるために奔走している方もいる。

だが戦争体験者から、こうしたことにあまり賛同を得られていない雰囲気がずっとあって、理由は主に二つだろう。

1.声がそのまま伝わらない

わざわざ戦争体験者から聞き取りするとなれば、手間もお金もかかるので、それなりの「次の展開」まで視野に入れていないと、なかなかできない。

となると「次の展開」として、集めた声を本や映像(ドキュメンタリー番組等)で発表することになるわけだが、その時、本の書き手とか、番組のディレクターには方向性があるわけで、生の声はその方向性に沿って取捨選択され、時に改変もされてしまう。

こういう、生の声がそのまま伝わらず、作り手の都合に合わせて変えられてしまうというのが、せっかく証言してくれた人の失望を誘うことが少なくない。

「オレはそんなこと、言ってねーよ!」
とか、
「こっちよりも、あっちの話の方が大事なのに、なんで端折(はしょ)った?」
という不満が残る。

かくして、「そんなんだったら、話さなきゃよかった」ということになりかねない。

2.体験を口にしたくない

3・11の被災地の子供達に、当時の記憶を書いてもらうと、ニオイや色、触った感触等、大人なら常識的に遠慮する、感覚的で容赦のない表現が多いとのこと。

戦争ももちろん、原爆となればなおさら、その悲惨さはすさまじく、まさに「筆舌に尽くしがたい」ので、再び口にして思い出したくない、という気持ちは絶対にあると思う。

それと、「口にすると頭に来るから、言いたくない」と言う気持ちもある。

文字通りの生き地獄を味わったのに、当時もほぼほったらかしなら、戦後はよりによって、原爆を落としたアメリカが正義となって、どこに責任と補償を問えばいいのかが、うやむやになった。

また、これまで沈黙を守って来た人は、1945年から年月が離れれば離れるほど、
「今さら言って何になる」
「言ったところで、何か状況が改善するわけでもない(言うだけムダ)」
「ないがしろにされてきた年月を思い出して、よけいに腹が立つ」
と言う気持ちが募ってしまう。

かくして、語らない人はますます口が堅くなり、
「ここまでだまり通してきたのだから、今後も黙っておこう」
とか、
1で証言した例が、甲斐無く終わったと判断して、
ますます口を閉ざしてしまうことになる。

この話は、意外な形で、つづく。


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