再見『ククルス・ドアンの島』
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2023/2/28 アマプラ視聴
アマプラ(Amazonプライム)が視聴可能な状態続きなのに、
「だったらあれも見よう、これも見よう」の興味関心はすっかり薄れ、
いつの間にか一月に一本も視聴せずに終わりがち。
これはいかんと配信作品をざっと眺めて、
『ククルス・ドアンの島』が目につき、「はっ、そういえば!」と思い立って鑑賞。
映画館での鑑賞体験は散々で、「冒頭数分を寝落ちしたため…」と書いてはおいたが、今回再鑑賞して冒頭数分から全く見覚えのない場面が延々と続き、「ああ、ここは見た覚えがあるぞ」にやっと行き着いたのは、アムロを見捨てる軍上層部の決定に抗議して、カツ、レツ、キッカがトイレに立て篭もる場面で、全体の流れでは話の2/3あたりまで進んでいたから、「わざわざ高い特別鑑賞料金を払って、みすみす金をドブに捨てていたのか」とガクゼン。
おまけにこの記事が呼び水となり、
↓こんな失礼なコメントを皮切りに、
牧野シホン(どうせ仮名)
この典型的な厄介オタの、粘着質な皮肉コメントがしばらく続いたんだよな。
ブログ開始当初はハイエナコメントが群がったので、
スマホ・ケータイからのコメントを阻止し、
承認制に移行したが、
ひとたび厄介コメントでも承認しちゃうと、
何を書いてもいいいんだと勘違いするヤツもいるらしい。
やれやれ…。
ムカついたからもう一度『ククルス・ドアン』を劇場鑑賞しようかと思ったが、
それは相手の思うツボと放置していたわけだが、
今回改めて全編を見通して、これこそが安彦良和のガンダム理想像なんだろうという思いは変わらなかった。
でもってガンダムの理想形って何かというと、
サンライズの前身会社、創映社に出資した東北新社の植村伴次郎社長の理想作品が、
「和製サンダーバード」で多彩なメカがごっそり登場するソフトSFアニメ作品で、
「すなわちテレビ番組としても魅力満載で度重なる再放送に耐え、
同時に玩具やプラモデルも再販を繰り返す」であったわけ。
だが創映社の初挑戦作「ゼロテスター」(1973/10/1〜1974/12/30)はそんなに理想通りとはいかず未遂に終わり、
成功例は創映社ではなくアカデミーの「宇宙戦艦ヤマト」(1974年10月6日 - 1975年3月30日)で、
(東北新社は「ヤマト」再放送の権利を買った)
それにしてもお金がないから金にしなけりゃならないということがありまして、何かお金になるものがないかと考えていると、再放送(リピート)を売ればお金になると聞きました。それで「ヤマト」を「ワンサくん」と抱き合わせで売ったんですが、高く買い取ってしまった東北新社はとにかく消化しなければ損をすると必死で売りまくったんです。それが、再放送からブームへとつながっていったようですね。
「ロマンアルバム・エクセレント53 宇宙戦艦ヤマト PERFECT MANUAL 1」西崎義展インタビュー 208ページより
以後も安彦良和・富野善幸(旧表記・富野由悠季)の虫プロ出身コンビは、
日本サンライズ発・東北新社ノータッチで、
和製サンダーバードとして繰り返し再放送され、関連玩具とプラモが売れ続けるメカSFアニメ作品を生み出そうと取り組み続け、ようやく「ガンダム」に結実した。
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ーーのは良かったんだが、富野喜幸の手がけた完成形と、安彦良和の思い描いた完成形はついぞ一致せず、
だからこその「THE ORIGIN」と、今回の劇場版『ククルス・ドアン』で、そこでの安彦氏の自分版ガンダムのこだわりは、
- 登場メカこそプラモに生写しの3DCG処理だが、人物アニメはあくまでもアニメーターの手描きで画風は徹底的に安彦タッチ
- 人物描写は活写調で、安彦タッチで絵柄通りに人好きのするキャラクターたちの芝居は、登場キャラの誰一人として憎めない→『ククルス・ドアン』の戦災孤児たちは、ジオン側、連邦側の分け隔てなく無垢で非力、観客も思わず応援したくなる。
等々と、もしかしたら「巨神ゴーグ」(ジャイアントゴーグ 1984年4月5日から同年9月27日)でも目指したものが、ようやくにして実現したと思われる。
だから私は、映画『ククルス・ドアンの島』になるほど納得。
何の文句もございません!
放映当初から安彦氏が懐疑的だったニュータイプ論に沿わないから、
何度作品を見返しても他の誰も気づかない岡田斗司夫独自理論にそぐわないってだけで、
「ガンダムをてんでわかっちゃいない。当初からべったり現場にいたくせに」と嗤(わら)うのには、私は賛同できません。
とにかく「THE ORIGIN」以降の安彦ガンダム世界は、
- 原点(TV「ガンダム」)踏襲から決別し、安彦氏が「やりたくないことは一切やらず」「自分ならこうやると決めた、やりたいことだけは貫き通す」ためのクリエイター取捨選択の結果であり、それは言葉を変えれば「ガンダム世界から富野臭を消し去る作業」でもあった。「なんでガンダムの魂部分をスポイルするんだ」と責められたところで、「それだけは意地でもやりたくなかった」んだから仕方ない。
- その結果が破綻して作品が空中分解でもしたなら仕方ないけれど、きちんとした作品として真っ当に成立し、テレビ富野版から変えるだけの意義や価値もあったし、当初はキャラデザイナーと作画監督という純粋な絵描き=平面アーティストとして参加した安彦氏に、演出家や監督としてのクリエイター資質が備わっていたことが意外な喜びと驚きである→大河原邦男監督の「ガンダム」映像とかあり得ないことと比較して欲しい。
ーー等の観点から、単に自分の物差しで推し量れないからダメと断じることはできないはずだし、作れもしなければ評ずるしかない人の、自分の動画に客寄せするために優先させた独自理論や判断基準=物差しの目盛りの方が狂っちゃいない保証はあるのかとさえ問いたいよ。
これ以上は申しますまい。
『面倒くさそうなオッサンが絡んできたから話を合わせちゃえ』
と、躱されたということも考えらえます。
映画を観劇に行って、冒頭から寝てしまうとは勿体ない話。
まるで還付金詐欺師に大金を振り込んでしまうようなものですよ。