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誰も知らないスター・ウォーズ⑰

 
誰も知らないスター・ウォーズ⑰
 

第3章 新三部作時代

『スター・ウォーズ〈特別篇〉』三部作(1997)

『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999)

『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(2002)

アニメ『スター・ウォーズ クローン大戦』(2003~2005)

『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(2005)

 

新三部作の絶対ヒットという命題

ルーカスにとっての気がかりは、LFL社がインディ・ジョーンズ三部作の最終作、『最後の聖戦』(1989) 以来、全くヒット作に恵まれていないことだった。SWシリーズを再開すると決断させる要因は様々だったが、一番大切なのはだから、自社の映画でヒットするものを新たに3本増やすことだった。

ルーカス本人は、自分がヒットの極意をつかんでいないことを自覚していた。それを会得していたならば、『SW』と『インディ・ジョーンズ』以外のLFLの映画全て、『ラビリンス 魔王の迷宮』(1986)も『ハワード・ザ・ダック 暗黒魔王の陰謀』(1986)も『ウィロー』(1988)も同様にヒットしたはずだが、実際はそうはならなかったからである。

それでもルーカス本人は、「自分の作品がヒットすることにも不発に終わることにもそのたびに驚いている。『ハワード・ザ・ダック』が『SW』と比べて、それほど遜色あるとは思えない」と平気で言い放っていたのだから、これはつまり、自作についてどこがウケてどこがウケないのかを、いつまでたってもつかみかねていることを表していた。

だからもしもSWシリーズを再開するのならば、 SWを他作品とは別物たらしめた要素までをも復活させる必要があり、それは自社LFLの作品群であっても他作品には関わらず、SWだけに携わったスタッフを再招集、再起用することなのだというくらいの見込みなら、当のジョージ・ルーカス本人にも当然できていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新三部作への布石『〈特別篇〉』三部作

 

〈特別篇〉三部作は、1997年の初頭から5月までに順次公開され、その2年後の『エピソード1』の前景気をあおりはしたが、実際は『1』の計画の方が先にあって、そこに急遽〈特別篇〉が割り込むかたちになった。

ルーカスがシリーズ再開を公言したのは1992年で、まだスティーヴン・サンスイートが新聞記者だった当時に著した、氏にとって初めてのSW関連書籍、From Concept To Screen To Collectibles(邦訳題:偉大なるマーチャンダイジングへの歩み/バンダイ出版刊)の中だった。そこでルーカスは「3本をいっぺんに撮影してしまい、SW20周年にあたる1997年から半年に一編ずつ公開する予定」と明言している。

 

 

 

しかしこのスケジュールでの新三部作公開は、後述する理由で不可能になり、そうこうするうちにSW20周年が着実に近づいてきたので、元々は旧三部作をこの年に順次リバイバル公開する予定が、フィルムの修復、デジタル技術でのブラッシュアップ、ならばアナログ特撮もデジタルVFXへと、次々に盛りだくさんの企画に変わっていった。

〈特別篇〉三部作の謳い文句は、初公開当時では不可能だったデジタル技術を駆使して、ジョージ・ルーカスの初期構想通りのビジュアルを妥協することなく映像化するというものだったが、これは多分にセールストーク的な側面が強かった。

 

まずは初期の構想どおりと言っても、その構想自体が時期によって様々に推移したし、改変後のいくつかのビジュアルは、改変前より見劣りしてしまい、改良でなく改悪になってしまっている場合も多かった。

サンドトルーパー(砂漠仕様のストームトルーパー)がタトゥイーンの砂漠で馬がわりに乗るトカゲ型の生物はデューバック(イボ背)と呼ばれ、第1作初公開当時は頭部と尾部だけが新造で、ボディはあり合わせのサイのハリボテを流用していた。

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サイ

↑このサイは、ハリボテではなく実物です(参考画像)。

↓シャコ貝かオウギガイのような波板状のトサカは、最終版のデューバックからは取り払われた。

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ふぇりいう

継ぎ目を隠すために頭部とボディの境目には毛皮が被され、

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側面

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日陰

劇中ではロングショットか頭部のみが見える角度からしか撮影されず、劇中スチルでも頭部を大写しにしたものしか公表されなかった。

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いういうい

これに対して〈特別篇〉のデューバックは、CG革命となった『ジュラシック・パーク』 (1993)以降のものだけに、尻尾で砂地を払いながら悠然と歩行はするものの、いかにもCG然としていて生物的な実感に欠け、特に足首が鳥のように細くて、とても巨体の重量を支えられる感じがしなかった。

 

↓デザイン画ではそれなりに堅牢な足首が、

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↑CG像ではホッソリしすぎ。

 

また『新たなる希望』に登場することになったジャバ・ザ・ハットも、CGモデリングが稚拙で『ジェダイ』で実際に作られた巨大なゴム製のパペットの存在感には遠く及ばなかった。

 

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この稚拙なCG像は7年後のDVD発売の際に、『エピソード1』で新規に作られたCGデータを転用したものに差し替えられている。

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CG像のジャバ・ザ・ハットの指は片手に4本ずつだが、『ジェダイ』時代にケナーのトイに慣れ親しんだファンなら、ジャバの指は左右各3本だということを心得ている。

改めて調査すると、ケナー/ハスブロのジャバ・ザ・ハットは、

↓1983年の『ジェダイ』版で、右手が3本指で左が4本指。

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以降はずっと両手4本指だが、

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↑2004年版

 

2010年発売分だけ、左右共に3本指になっている。

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左から右へ、最古から最新のジャバのフィギュア。

 

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↑奥から手前へ、最古から最新のジャバのフィギュア。

 

以後のCG像はともかく、1983年公開の『ジェダイの復讐(帰還)』のジャバ・ザ・ハットは、

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左右共に3本指なんですけどぉ…。

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さらにモス・アイズリーの街路には、宇宙船の残骸が骨組みになって放置されているが、これはオリジナルではカンティーナの入口の脇にあった。ところが〈特別篇〉では、この残骸と全く同じものが街の入口のシーンにあらかじめ登場して、カンティーナに到着すると再登場するという怪現象が、よけいなCG補完作業のおかげで発生してしまっている。

 

ランドスピーダーがモス・アイズリーの街路を走る情景には、

↓筒型のロケット噴射口が縦積みされてるが、

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↓この残骸は本来、セットの一部として、

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カンティーナの入口付近に設置されていた。

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さらにモス・アイズリーの街路には、宇宙船の残骸が骨組みになって放置されているが、

さらにモス・アイズリーの街路には、宇宙船の噴射口の残骸が2基縦積みになって放置されているが、

 

 

ルーカスが〈特別篇〉をあえて世に送り出す本当の思惑は、10年以上のブランクを経て復活する『エピソード1』以降の新三部作が、当然デジタル映像を駆使したものになるのに、旧三部作がいつまでもアナログな見映えのままでは、同じ映画シリーズとして統一感に欠けてしまうため、旧三部作の見劣りを防ぎ、両三部作の技術的なギャップを埋めることだった。

それに加えて、新三部作を構想した時点で、旧三部作にも新作の要素をいくらか分担させることも必要になった。

『ジェダイ』でのオリジナルでは、エンドアの軌道上で、皇帝のいた第2デス・スターが壊滅しただけで、いきなり全銀河の勢力地図が塗り替えられるのは都合が良すぎた。そこで『ジェダイ』のラストに、皇帝の支配体制が崩れた首都惑星コルサントの陥落の様子が盛り込まれた。

 

公式発表と実際のズレ

 

〈特別篇〉から新三部作と推移し、公式サイトも充実して情報が開示されて行くに従い、スタッフの公式コメントの中には、必ずしも事実ではないものも含まれていることがわかってきた。

リック・マッカラムの日常茶飯事の虚言癖については後述するとして、サウンドデザイナーのベン・バートが明らかに事実と異なることを言うのには首をかしげた。

〈特別篇〉三部作では、オリジナルにいくつかセリフが追加されたり細かな変更があったが、バートは明らかに新録音されたものまで、オリジナル製作当時のライブラリーから未使用だったテイクを復活させたと言い張り、その中には『帝国の逆襲』でダース・ベイダーが告げる「シャトルを寄越せ(Bring my shuttle.)」が「我が旗艦に迎えの準備をさせておけ(Alert my Star Destroyer to prepare for my arrival.)」に変更された部分まで含まれていた。該当部分のセリフは、ベイダーの声を担当したジェームズ・アール・ジョーンズが話しているようには聞こえないが、バートはこれをあくまでもジョーンズだと主張し、第1作『エピソード4 新たなる希望』の未使用テイクを再利用したと語っている。しかし第1作の草稿や準備稿のいずれにもこれに合致するセリフはなく、第1作劇中ではスター・デストロイヤーは 「インペリアル・クルーザー」としか呼ばれないこととも矛盾する。さらに細かなことだが、ベン・バートはジャバ・ザ・ハットの声を言語学者のラリー・ウォードが演じたことも、なぜか言明したがらない。

 

『エピソード 1』にたどりつくまで

 

ルーカス自身は、マーシャとの離婚問題で気持ちが萎えてSWシリーズを終了すると宣言してしまったわけで、なるほど『ジェダイ』は、懸案の問題の数々を、それにまつわる全キャラクターを表舞台から去らせることで片付けてしまうなげやりな展開で、たしかにこれ(エピソード6)以降がなさそうなのは、映画を見ても明らかだった。

しかし大衆は、SWというものの新しさと楽しさに目覚めてしまい、その気分はルーカスの『帝国』製作時のあたりと変わらずにまるでそのままだったから、いつまでも続くと思っていたものが突然終わってしまったことが信じられず、では『ジェダイ』以降がないならそれで仕方ないとしても、せめて三部作以前は描いてくれるだろう、ならばその時はいつだろうかと、辛抱強く10年以上も待ち続けた。

もちろんルーカスの表向きのシリーズ中断の理由は、特撮技術がエピソード 1 から3を描くまでには達していない、というもので、それはたしかに納得できる理屈ではあった。

だがこの言い訳は『ジュラシック・ パーク』(1993)で映像化が不可能なものがなくなる域までILMのデジタル技術が達してしまうと通用しなくなり、ルーカスもようやく重い腰を上げざるを得なくなった。

ルーカスは最終作(当時)『エピソード3』製作中のインタビューで、旧三部作を作った時点で語るべき物語はすべて語り終えてしまい、それ以上は何もない白紙の状態だったことをようやく打ち明けている。(このインタビューは『SWヴォールト』に付属するCDに収録されている)

ということは『ジェダイ』で映画製作を中断したのは、特撮水準が未熟だとか私生活を大切にしたいというのは本音だったにせよ、主要因は肝心のストーリー骨子が白紙で、作りようにも作れないのが実情だったためでもあった。

しかし営業上の理由もあってSWシリーズ再開が必至となり、ではどういう話にしようかと考えたとき、ルーカスはおそらく次のように目論んだ。

まず、旧三部作では『隠し砦の三悪人』をベースにしたが、新三部作では既存の作品からストーリーを拝借することはできなくなってしまった。いまや世間のSWに対する注目度はすさまじく、キャラクターの名前と併せて、ストーリーの流用や転用はたちまち見透かされてしまうからだ。そうなるとSW新作の題材や元ネタは、SW自体から探らなければならなくなる。

旧三部作でも、1作目でやり残したことを2作目、3作目でやり直したのだから、今回も同じように、以前にやり残したことを復活させればよい。それに旧三部作は第4話から6話に相当するということで、その前提となる話について、手がかりとなるセリフを散りばめておいたわけだから、その手がかりをストーリーの縦糸に、合間を未実施のアイデアで埋めていけばどうにかなるだろう。

これを第1話で具体的に行うと、『ジェダイ』でオビ=ワン(ベン)・ケノービのセリフにあった、「オビ= ワンが初対面の時点で、すでにアナキンは腕利きのパイロットで、2人はたちまち良き友人関係を築いた」 という部分を描けばよいということになる。さらに『ジェダイ』の時には、ケノービが60歳でアナキンが 55歳と年齢を設定していたが、2人の年齢差をもっと開くことに改めて、この第1話ではアナキンを8歳か9歳の少年に再設定し直した。

もう一つルーカスが新三部作を始めるにあたって念頭においたのは、以前も自分一人ではなく、頼もしき仲間と知恵を出し合って良い作品を作り上げたのだから、今回もそうすればよい、ということだった。

なによりも自分の頭の中の構想を文章に書きあらわすのが苦手で、いつももどかしい思いをしてばかりだったので、『帝国』の際にリイ・ブラケットの急逝で宙に浮いた脚本をほぼ一から再構築してくれて、次回作『ジェダイ』で再び脚本を依頼した時には若干難色を示しながらも、結局は引き受けてくれたローレンス・カスダンに、今回も脚本を依頼するつもりだった。

さらに旧三部作の映像スタイルを確立してくれた、プロダクションデザイナーの2人、ラルフ・マクォーリーとジョー・ジョンストンの再起用も期待していた。しかしマクォーリーは1997年あたりからパーキンソン病の軽い症状が出始め、コンベンション会場でサインを書く手が小刻みに震えていて、ほどなくガルーブ社の玩具パッケージのイラストを最後に、絵筆が握れなくなってしまう。ルーカスからの依頼は症状が出始める以前だったとはいえ、最終作までは大任をつとめきれないと自ら判断したのか、マクォーリーは新三部作への参加を断った。

 

 

 

一方のジョンストンは、『ジェダイ』終了後の1984 年からルーカスの勧めでUSC(南カリフォルニア大 学=ルーカスの母校)の映画科で学生からやりなおし、『ミクロキッズ』(1989)で監督デビュー、『ロケッティア』(1991)で完全に自分のスタイルを確立していた。

 

 

ジョンストンと同様、カスダンも『白いドレスの女』(1981)と『再会の時』(1983)『偶然の旅行者』(1988)と大人向けのドラマで監督と脚本を兼任し、1992年の脚本作『ボディガード』もヒットして、映画作家としての志向が、完全にSWとは別方向の大人の観客にむいていた。

 

 

 

 

 

 

 

こうしてすでに一人前の映画監督や脚本家として独り立ちしていたジョンストンもカスダンも、相次いで新三部作への参加を断ってしまう。あてがはずれたルーカスは仕方なく、カスダンの助言通りに自分で脚本を1994年の秋に書き始め、当初の副題は『ザ・ビギニング(始まり)』としていた。3本まとめて撮影し、 半年ごとに公開するという、1992年に公表していた当初のスケジュールは、脚本執筆に時間のかかるルーカスの独力執筆が決定したこの時点で、完全にご破算になった。

 

 

今回はここまでです。


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