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誰も知らないスター・ウォーズ⑮【補完記事】

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誰も知らないスター・ウォーズ⑮【補完記事】

 
しばらく間が空いたので、
本書「誰も知らないスター・ウォーズ」の次の章の転載を予定していたが、
その前にコメント常連のJOEさんの、
以下の投稿に答えなければ。
 
 
JOE
 
(前略)
スターウォーズトリロジーの特典ディスクを観ると、スターウォーズの初期版の編集が凡庸だったので急遽編集メンバーを二人招集したとありました(お名前は失念しました)。その一人はスコセッシの作品に関わっていたと紹介されていました。

ところが町山智浩氏のラジオ番組たまむすび出演時の話によると、

 

 

ルーカス三部作は全て天才編集者マーシャ・ルーカスによるもので、だから離婚後のエピソード1~3はパッとしないという事でした。これは先ほどの特典ディスクと食い違う発言です。
町山智浩氏は、離婚後ルーカスはスコセッシやスピルバーグなど監督仲間にマーシャを使わないでくれと触れ回し(これは真実ならあまり男らしくないですね)、スコセッシはこれまでマーシャに世話になっていたので困ったとも語っていますが、トリロジーではスコセッシの編集担当だったのは別の男性編集者だった筈です。
この辺りの食い違いにも光を当てていただければと思います。よろしくお願いいたします。


また、このコメントを転載した記事(誰も知らないスター・ウォーズ⑭)には、
 
JOE
 
もう一度スターウォーズトリロジーのボーナスディスクを見返してみました。
エピソード4のメリハリのない編集を打開するためにルーカスが呼んだのは、P・ハーシュ、R・チューの二人に加え、スコセッシと仕事中だったマーシャ夫人、計三人の編集者でした。
ですので、離婚後スコセッシがマーシャと仕事が出来なくなって困ったという話は、町山智浩氏の解説と矛盾ありません、済みません。

残る謎としましては、スターウォーズ三部作の功労者はこの三人という事になるのか、あるいは町山氏の言うように天才編集者マーシャ一人の功績によるものか、と言う事になります。
訂正させていただきます。
 
——という訂正コメントも。
 
そこでようやく、私からの解答ですが、
ジョージ・ルーカスとマーシャの離婚劇に関しては、
自分の取材対象からはことごとく外れるため、
実は私の情報源も、もっぱら町山智浩氏なんです。
 
1999年、「映画秘宝」が6月号でリニューアルで大型誌面化し、
ひょうし
生賴範義氏が『エピソード1』の表紙を華々しく飾った号で、
えぴ1
初めて編集部に呼ばれ、
そこで町山氏とも初対面。
 
マーシャはインテリアデザイナーに才能を褒めそやされて、
当時すっかり夫ジョージの威光にかすんでいた彼女はこれによろめき、
この不倫関係が発覚して離婚に至ったと。
 
ピクサー売却劇に関しては、
当時のルーカスは財産分与で当座の資金が必要になり、
業績を上げていないピクサーを手放したというのは、
業界人なら周知の事柄で、
2019年末の丸ビルイベントの企画者の方も口にしていた。
 
町山氏がこの件に詳しいのは、
ジョージ・ルーカスだけでなく、
駆け出し期の仲間、
ブライアン・デパルマやスコセッシまで取材枠を広げてこその成果らしく、
同氏が『エピソード2』の2002年頃、
秘宝で1作目『スター・ウォーズ』をまとめた時にも、
内輪向けの試写会の反応が散々で、
マーシャが悲嘆に暮れて泣き出したという、
生々しくも、他のどのメディアでも見かけない顛末が綴られていた。
 
今回初めて、
マーシャ・ルーカスを本国英語版Wikiで調べて、
浮気相手はインテリアデザイナーではなく、
ステンドグラスアーティストのトム・ロドリゲス氏で、
同氏は1980年から83年まで、
スカイウォーカーランチのプロダクションマネージャーで、
設計に関するアイディアをマーシャに拝むと、
素人とは思えない案を次々に提案するため、
ロドリゲス氏がこれを称賛。
 
2人はやがて不倫関係に陥り、
正直なマーシャは自ら夫ルーカスに、1982年の中頃に離婚を申し出た。
しかし夫ジョージは世間の評判悪化を怖れ、
返事を『ジェダイ』公開の1983年まで保留した。
 
マーシャはルーカスとの離婚成立後に、
ロドリゲス氏と再婚。
1985年にはエイミー・ロドリゲスという娘が誕生。
しかし夫妻は1993年に離婚している。
 
SWオリジナルトリロジーの頃(1977〜1983)には、
ジョージとマーシャには子どもが授からなかったため、
1981年に養女アマンダを迎えたと言われていたが、
マーシャが1985年に出産。
ジョージもメロディ・ホブソンと2013年6月22日に再婚し、
2013年8月に実子をもうけたが、
これは代理母出産によるものである。
ジョージ・ルーカスにもだから、子種はあったはずなのに。
 
つまりマーシャが離婚を申し出たのは、
自分が子どもを出産できるうちにそうしたいという、
女性としてあたりまえの願いと焦りもあったのだろう。
 
話を編集者としてのマーシャ・ルーカスに戻すと、
編集テクニックの具体方よりもむしろ、
もっと作品の根幹に関わるような、
包括的な進言に行き着く場合が多い。
 
どこで読んだかは忘れたが、
『スター・ウォーズ』(1977)のドッキングベイ94で、
生身の人間ジャバ・ザ・ハット(デクラン・マルホランド)と渡り合うシーンには、

 

 

ハン・ソロの大胆不敵さがよく表れていたから、
カットすべきでないと主張した。

該当シーンは〈特別篇〉(1997)でようやく復活。
 

『スター・ウォーズ』の撮影後の編集過程で、ジョージは妻のマーシャに編集を託す気はなく、『タクシー・ドライバー』(1976)編集を終えたマーシャは出産を予定していた。

しかし結局妊娠・出産は実現しなかったが、ジョージは代理で撮影地元の英国組合員のジョン・ジンプソンを編集に選んだ。ところが粗編集の出来が散々で、

 

 

カンティーナのシーンも不完全だったため、追加撮影が行われたうえに、

 

 

ジンプソンは解雇され、急遽マーシャが引き継ぎ、〈ヤヴィンの戦い〉デス・スター攻略シーンを担当、脚本の同シーンの描写を大胆に改変した。

 

同シーンは複雑極まりなかったためマーシャはかかりきりで、彼女は「どたんばでファルコンとソロが援軍に駆けつけるシーンで観客が歓声を上げなくちゃ、映画は大失敗に終わっちゃう」とも忠告していた。とにかくジョージは、ジンプソン粗編集版の修正のためにリチャード・チュウを起用。それでも人手が足りず、3人目の編集者としてポール・ハーシュも参入。

 

1976年のクリスマス後、マーシャは『スター・ウォーズ』編集から離れ、スコセッシの『ニューヨーク、ニューヨーク』(1977)に参加。前任のアーヴィング・ラーナーの急死を受けてのことだった。

第50回アカデミー賞で、マーシャは夫ジョージを差し置き、ハーシュやチュウと合同で編集賞を受賞。

『スター・ウォーズ』の成功後、マーシャは育児と家業に専念し、かたわらにスカイウォーカー・ランチの内装や装飾に指示を出した。

『レイダース/失われたアーク(聖櫃)』(1981)の粗編集版をみたマーシャは、エンディングにマリオンが未登場なため、情感的な締めくくりがないと指摘。これを聞き入れたスピルバーグが、インディとマリオンが再会するように撮り直した。

 

1982年には、マーシャはドゥエイン・ダナム(旧表記は「ダンハム」)、ショーン・バートンに続く3人目の編集者として『ジェダイの復讐/帰還』編集に参加。

妻の映画への貢献について尋ねられた夫ジョージは、感情の極みのシーン、生きるか死ぬかの瀬戸際だとか、抑えていた感情が噴き出して泣き叫んだりする場面にこそ、彼女は俄然力を発揮すると答えている。

 

——というわけで、マーシャ・ルーカスがトリロジー特典ディスクに未登場なのは、ジョージ・ルーカスとの関係が最悪なため絶交状態で、わざわざ出演を請えなかったため。

 

プリークエルトリロジーでもマーシャがいたら、と言う仮説には、

ジョージのエゴを貫いた結果が『エピソード1・2・3』だっただけに、

あり得ない状況を想像したって意味がなかろうとだけ考えます。

 


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