まずは今回の記事に関連して、
白井美也子さんから、この記事(「ガンダム誕生秘話」をふり返る【前篇】)にいただいたコメントより。
白井美也子
情報提供・金子隆一氏のインタビューの出典
> 「ブルーノア」企画時には、西崎Pが「ヤスヒコ」連呼で頼りにしまくっていたが、安彦氏がガンダムに引き抜かれてあてがはずれた
> 云々は、SF考証の金子隆一氏がネットインタビューかで述べておられた
この部分に孫引きのリンクが張ってありますが、原典はこちらと思われます。
本記事の主題とは関連が薄いですが、最近になって偶然、情報を得たものですから、回しておきます。
NHKの番組自体は見ていません。ごめんなさい。
◆SFオンライン 1998年1月25日号
特集:SFアニメでいこう!
SF設定という仕事
~金子隆一&小林伸光インタビュー~
98年1月9日 渋谷にて
インタビュアー:堺三保
> 云々は、SF考証の金子隆一氏がネットインタビューかで述べておられた
この部分に孫引きのリンクが張ってありますが、原典はこちらと思われます。
本記事の主題とは関連が薄いですが、最近になって偶然、情報を得たものですから、回しておきます。
NHKの番組自体は見ていません。ごめんなさい。
◆SFオンライン 1998年1月25日号
特集:SFアニメでいこう!
SF設定という仕事
~金子隆一&小林伸光インタビュー~
98年1月9日 渋谷にて
インタビュアー:堺三保
「ガンダム誕生秘話 完全保存版」覚え書き
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まずは番組全体の感想。
途中でニュースを挟んでの2時間枠で、
元番組から放送時間が2倍にふくらんだため、
1時間枠だった元番組の方は何度も再放送されたが、
こちらは2時間枠なのでおいそれと再放送はできなさそうで、
放送前にめたりの〜む氏から教えてもらってホントに良かった!
では、番組を見ていて気づいたことを箇条書きに。
- それまで「宇宙戦闘団ガンボーイ」「ガンボイ」だった企画書タイトルが、
- 富野氏発で「ガンダム」になったのは1979/1/6。ということは、タカラの東京工場(三郷)でガンダムとネーミングが決まったのはその前で、恐らくは1978年中。
- 安彦良和氏に「そこまでやんなくていいよ」とまで努力を認められた、当時駆け出しだった若手の板野一郎氏は、「ガンダム」の対抗馬として「ザ☆ウルトラマン」を番組内で挙げてはいたが、「ザ☆」の作画に参加したわけではない。
- 小田雅弘氏は現在、「ビル管理会社経営」らしい。昔トイズプレスがらみで1997年頃に対面した時には、ご家業が世襲制のため、他業種への転向は難しいとうかがっていた。
- 番組は追加場面でふくらみはしたが、オリジナルの締めくくりのこの部分が、この番組の本旨を明確に物語っている。
自己肯定感、達成感、神作の証明がここにある。
それともう一つ、関わった人たちで当時30代は、
富野監督(37歳)と安彦氏(31歳)、大河原氏(31歳)ぐらいで、
※藩恵子は1953年4月5日生まれで、当時は26歳。
のこりは全員が20代、川口克己氏は17歳だったことも押さえておきたい。
少子高齢化の40年後の今、会社のメイン作品に、
20代で取り組める現場が、どれだけありますかねえ…。