2019/8/17(8/16深夜)Eテレ
ようやく見ました。
感想は衝撃のひと言です。
以下、作品の内容に触れますので、
未見の方はNHKオンデマンド等で鑑賞後にご覧ください。
なんと申しますか、
当時の被害者/被爆者感情が手加減なく描かれ、
生々しくも救いがなく、
生存者のやさぐれていく過程が理解できるため、
まったく責める気が起きない。
作り話でないため、
ドラマに帰結点がなく、
父の変わり果てた姿に絶望して失踪した少女の話はそれっきり。
兄との再会などはない。
この、放りっぱなしで、
誰もいたわれない筋立てがすさまじく、
まさしく当時の原爆にまつわるあれこれが、
「まとめ」や「おわり」にできなかった状況が伝わってくる。
これほどの渾身作が、
世情に阻まれ、
公開禁止になってしまった無念さ。
あまりにきまじめで、
問題を真正面から捉えたために、
商売っ気がなさすぎた。
もう少し、
作り手がむくわれ、
観客に見てもらえるような工夫をと、
路線修正した作品が、
『ひろしま』翌年の『ゴジラ』だったんだなと強く感じた。
1作目『ゴジラ』(1954)は、たしか1984年頃に、
池袋の文芸座で、
『ゴジラの逆襲』(1955)と併映で見た。
とにかく『ゴジラ』は9年前の戦争が随所に反映され、
夜の東京にゴジラが立ち、
背後に炎が地平線一杯に広がって収拾がつかない事態だったり、
被災者が集まる避難所から、女性の遺体が担ぎ出されると、
子供が「お母さん」と泣きつくところは、
まさに戦争体験なしには描けそうもなかった。
『ゴジラ』がどうやら『ひろしま』を下敷きにしているであろうことは、
別に秘密ではなく、
両作に共通の音楽担当、伊福部昭(いふくべ・あきら)が、
『ひろしま』の音楽をそのまま
2:40あたりより。
『ゴジラ』の一部にコピペしていることからもうかがえる。
1:30あたりより
もっとも伊福部昭が、
過去作の流用を常套手段としていたため、
音楽が同じだからというだけで、
『ゴジラ』は『社長と女店員 』(1948)を参考にしているとか、
『ビルマの竪琴』(第一部・第二部) (1956年)は『ひろしま』『ゴジラ』を下敷きにしていると言うつもりは毛頭ない。
とにかく、
知ってから6年を経てようやく、
映画『ひろしま』を見終えて、
あらためて一層『ゴジラ』を想起したので、
ここに記すわけです。