久々のSW記事(2019年04月15日以来)が訃報とは…
この記事より。
(転載・一部編集 画像は本ブログで勝手に付け足しました)
ピーター・メイヒュー、74歳で死去。チューバッカを演じて38年
1944年イギリス生まれ。2005年にアメリカ国籍を取得している。ロンドンの病院で用務員として働いていた彼が映画の世界に入ったきっかけは、並外れて大きな足を持つ男性として新聞に取り上げられたこと。その写真を見た『シンドバッド虎の目大冒険』(77)のプロデューサーが、大男ミノタウロス役をオファーしたのである。
一方でジョージ・ルーカスも『スター・ウォーズ』(77・副題『エピソード4 新たなる希望』)でチューバッカを演じる俳優を探していた。
当初ルーカスはデビッド・プラウズを考えていたのだが、プラウズがダース・ベイダーのほうで決まってしまったため、身長198 cmのプラウズより背の高い人はいないかと探したところ、218cm(※221cm説あり)のメイヒューに白羽の矢が立ったのである。
『スター・ウォーズ』期(1977)
伝えられているところによると、演技の経験のない彼に、ルーカスは、「ただ立っていればいい」と言ったそうだ。チューバッカの鳴き声も音響デザイナーが制作している。それでも、チューバッカの姿勢や身のこなしなど、あのキャラクターの特徴的なものの多くは、メイヒューが作り出したものだ。
現在チューバッカを演じるヨーナス・スオタモは、先月シカゴで開催された「スター・ウォーズ・セレブレーション」イベントの舞台でも、
「彼特有の肉体的な演技がなかったら、チューバッカというキャラクターがここまで長く生き続けることはなかっただろう。この場を借りて、僕の恩師であるピーター・メイヒューに敬意を表したい」と述べ、ファンの大拍手を受けている。
スオタモはまた、昨年の『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』
公開前のインタビューでも、メイヒューから1週間かけて受けた指導について明かしてくれている。「ピーターはいろんなことを教えてくれたし、彼の思うチューバッカ像も語ってくれた。チューバッカにはチューバッカの歩き方があり、彼は絶対にやらない動きなどがあったりもするんだ。僕はそれらをできるかぎり学ばせてもらった」(スオタモ)。
メイヒューがビッグスクリーンでチューバッカを演じたのは、2015年の『~フォースの覚醒』が最後。
ここでは引き継ぎを兼ねてメイヒューとスオタモが一緒にひとつの役を演じ、2年後の『~最後のジェダイ』でスオタモが独り立ちするに至った。
つまりメイヒューは、実に38年(2015−1977)にもわたって、ひとつの役を演じ続けてきたのである。
『帝国の逆襲』期(1980)
長身(6' 2" =1.88 m)のアーヴィン・カーシュナー監督と共に
『ジェダイの復讐』(当時邦題 2004年から『ジェダイの帰還』)期(1983)
『フォースの覚醒』期(2015)
別の役もやったことはあるが、テレビドラマ「Glee/グリー」にゲスト出演した時もチューバッカ役だったし、メイヒューと言えばチューバッカ、チューバッカと言えばメイヒューだったのだ。その功績は決して小さくない。
自身も212cmと目立つ体型に生まれたスオタモは、先月のシカゴのイベントで、「子供の頃、ブルーのドリンクを手にしたルークがチューイーに初めて会うのを見た時、この世には誰にだって居場所があるんだと僕は思った。チューイーは、その象徴なのさ。体が大きくても、小さくても、あなたの居場所は、世界の中に絶対あるんだよ」とも語っている。
そのメッセージを伝え続けていきたいと、スオタモは言う。それを最初に発信したのは、メイヒューだ。素敵な夢と希望を、ありがとう。ご冥福を心よりお祈りします。
(転載終わり)
フランス人だけでなく、アメリカ人もh音を省きがちで、why(ホワイ)を出川哲朗のように「ワイ」と発音、スティーブ・サンスイート氏は、メイヒューを「メイユー」と呼んでいた。
個人的には1998〜2004年頃、
雑誌「スターログ」(竹書房)のインタビューで、上野のアメ横会館で一度、
もう一回は、蕨(わらび)のフィギュア店レッド・マーキュリー(赤い水星→あかいすいせい→赤い彗星)近くで、メイヒュー氏と言葉を交わした。
初対面の上野では、
写真撮影の許可をもらおうとしたら、めずらしく断られて困惑。
なんでもご自身のコンディションにこだわりがあり、
「今日は写真はダメ」と決めた日は絶対にダメなんだそう。
ダース・ベイダー役のデビッド・プラウズ氏は、
実際に対面してもそれほど背が高い感じがしなかったが、
メイヒュー氏は本当に巨人だった。
手もとてつもなくデカく、巨人族の生まれ変わりじゃないかってぐらい。
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サイン会場から喫茶店に移動する時、
内股気味にノシノシ(よちよち?)歩く様は、
そのまま映画劇中のチューバッカだった。
蕨の飲み屋では上機嫌で、
スチュアート・フリボーンの制作したチューバッカマスクは、
舌先で口の開閉を操作する仕組み
(やはりフリボーン担当の『2001年宇宙の旅』のヒトザルと同じ機構)だったとか、
フリボーンの息子のグレアム(左)も才能あるアーティストで、
造形粘土をひとつまみで、小さな手足をそれは見事に作り出したと、
こちらが問いかけるでもなく自らすすんで語ってくれた。
スピンオフ小説でチューバッカが死んだ時(2002?)には、
スティーブ・サンスイート氏が電話でメイヒュー氏に報告した。
2002年の『エピソード2 クローンの攻撃』公開間近に、
メイヒュー氏はTwitterで、
「同作にチューバッカはでるのか?」とネット民(=TheForce.net)に公開質問。
動機は「ネット民はなんでもお見通しみたいだから」だった。
『エピソード1 ファントム・メナス』(1999)が、
ドロイドコンビ以外の旧作常連キャストをバッサリ切った不満の表明で、
これを契機に『エピソード3 シスの復讐』(2005)には出演がかなった。
その『エピソード3 シスの復讐』公開の2005年、
テキサス在住の彼の熱烈ファン、
アンジー(Mary Angelique)と結婚し、
イギリスからアメリカに帰化。
2005年のセレブレーション3では、
メインイベントにゲストが総集合の場面で、
メイヒューはかなり早めに呼ばれて登壇。
ふだんの歩行に杖が欠かせなくなっていたため、
ステージで立ちつくす脚がガクガクと震えていて、長く立たせるのは気の毒だった。
2008年のSWセレブレーション・ジャパンでは、
特設サイン会場で、
パナソニックのポスター(1987)を、
日本のポスターコレクターT氏から譲り受け、自宅の私設博物館チュージアムに飾ると大喜びだった。
以上が、私が個人的に知っているピーター・メイヒュー氏の思い出。
皆さんのチューバッカ/ピーター・メイヒュー氏との思い出は?
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