宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち
第9話「幻惑・危機を呼ぶ宇宙ホタル」2018/12/7放送
【概要】
テレザートへの行程の3分の1を消化したヤマトの進路上には敵本星と思しき白色彗星があり、そのまま進むか引き返して出直すかの選択に迫られる。そんな中、いくつもの問題を抱えたことにより、古代は心身共に疲労してしまう。催眠効果を持つ宇宙ホタルの騒動の後、テレサからの2度目のメッセージが届き、古代は沖田の幻影に励まされる。そして、空間騎兵隊なども含めたヤマト乗組員一同は、虚空に浮かぶテレザート星とテレサの姿を目撃する。古代たちは決意を固め、テレザートへ再び進み始める。一方、ガトランティスではシュトラバーゼでヤマトが見せた「執念」というものを知るべく、ズォーダーがかつてのガミラス総統デスラーに艦隊を与えていた。
特に書くことはありません。
おわり
……でもいいんだが、
エンディング曲の後の、
予告がやたらと長いやんけと思ったら、
今回だけ変則的な構成で、デスラー再登場のくだりまで第10話に含まれていた。
この変則構成はつまり、
映画館で上映された第三章「純愛篇」(2017/10/14公開)が、
TV放映版の第7話からこの第10話だったため、
観客に次章の期待を持たせる「しかけ」なんだとわかった。
だけど、
あの地獄の7話から、この10話までを一気に見通して、
「次(劇場版「第四章」)にはデスラーが出るのか、
これは見なければ!」
なんて観客が、どれだけいたんでしょうか?
今回の第10話のみに話題を絞れば、
つまらなくはなく、タイクツはしなかったが、
危機的状況の積み上げがヘタクソ。
宇宙ホタルというネタは、
テレビ「ヤマト2」
第11・12話に由来はするが、
クルーが過去の幻影に浸り、
無気力になって任務を放棄する様子は、
松本零士の後付け余話、
『永遠のジュラ』が下敷きである。
「これって、たしか前にもあったよな」と思ったら、
「2199」でも
で、やっていた。
……。
どんだけ依存体質やねん!
のみならず、
危機的状況が観客/視聴者にさほど伝わらず、
まったくハラハラドキドキしないうちに、
放送時間の都合で、あっさり事態が解決に向かうところは、
「2199」から変わらず演出がヘタクソである。
ところで「2202」批判の中に、
前作「2199」の出来の良さを台無しにした、
と言う声もあるが、
それは買いかぶりに過ぎず、
「21世紀リメイクヤマト」はすでに「2199」の時点で、
それはもう、たいがいにひどかった。
話し方がヘタクソで、
聴いてる方の頭にちっとも入って来ないのは、
アイドルにコワイ話を語らせたとき、
「青春高校3年C組」の
「なんか」ばかり頻発する怪談(こわい話)のように、
語り口が支離滅裂で、さっぱり要領を得ないのと大差ない。
でもってこれも「2199」から「2202」が受けついでいる悪しき慣習だが、
作り手は「これがいい」「これでいい」と自信を持って取り組んでいるので、
作品公開後は、認めてくれる評価=称賛や絶賛を期待している。
だから副監督のようにエゴサに走り、
ところが誰も認めてくれずに酷評だらけなことにいらだち、
「良さがわからないのは観客(視聴者)がバカ」と決めつけ、
批判的なツイートを見つけてはクレームをカキコミ、
相手からの反論を受け付けないように、
あらかじめブロックするという、
子供じみた行動に出る。
そういや最近疎遠にしていたラジオ番組、
『NMB48学園~こちらモンスターエンジン組~』 の2018.12.08 放送回で、
以前は映画なんか敬遠していた渋谷凪咲が、
どうやら『グレイテスト・ショーマン』で映画の魅力にハマリ、
『ボヘミアン・ラプソディ』も鑑賞しており、
称賛が止まらなかった。
都内の映画館では、
TOHOシネマズの応援上映が、
日比谷から新宿に移動、
ファンタビ2018最新作『黒い魔法使いの誕生』に明け渡していたIMAX上映も、
ほぼ全館で『ボヘミアン』が復活上映している。
同作成功の鍵は、
最終打ち上げ花火のしかけがきちんと効いており、
そこにいたるまでの至らなさが帳消しになる。
監督のブライアン・シンガーは、
クライマックスの21分のライブエイドから撮影開始。
結局、それ以外の大半のシーン撮影に立ち会わず、
代打カントクが撮り切って完成。
状況から分析すると、
関係者や実在人物の意見をあれこれ採り入れたあげく、
シナリオが初期構想からかけ離れたことへの拒否反応による、
ブライアン・シンガーの職場放棄と推測される。
とはいえそれを平気でかましたということは、
途中までがどんな出来でも(誰が撮ろうと)、
肝心の最後のシーンさえあれば大丈夫
という自信の裏返しでもあったのだろう。
それが証拠に、
識字障害で、小説『火花』が読み進められず、
映画も『パイレーツ・オブ・カリビアン』などの流行り物は一切敬遠していた若い女性、
渋谷凪咲が、
話題が『ボヘミアン』だと、誰に促されるでもなくとうとうと語りだし、
しかも演出や効果などのプロ視点では一切語らず、
ひたすらクイーンの音楽の先進性や独自性に熱弁をふるっていた。
ブライアン・シンガーは実質上のクビだったんだから、
『ボヘミアン・ラプソディ』のできばえに不安があったら、
作品完成後や公開後にエゴサをくり返し、
否定的的意見のSNSに食ってかかり、
「作品を理解できない観客がバカ」
なんて罵(ののし)りそうなものだが、
アメリカの映画監督はさすがにそんな愚行に走ったりしない。
また相手の反論を受け付けないように、
罵りたちまち、相手をブロックしたりもしない。
いや、これ以上の比較はブライアン・シンガーに失礼なので、申しますまい。
なんだかんだ言っても、
つきあい続けた以上、
最後まで見続けるという殊勝な人たちしか残ってないんだから、
ありがたいと思うべきだよ、ヤマトの諸君。