これの続き。
サウスベンド社の、
エレクトロニック・エンタープライズは、
本来製品化すべき、
↓映画版モデルではなく、
↑オリジナルのテレビ(TOS)版エンプラの形状を
引き継いだ部分も散見される。
たとえば、
①円盤形の第一船体上部のブリッジが、
↓映画版のように角張っておらず、
↑テレビ版特有の、
↓野暮ったく丸みを帯びた形状だったり、
その後方の、
②インパルスエンジンのグリル(放射口)が、
↓映画版のように斜めの角度がついておらず、
↑テレビ版と同じ、単純な横長の長方形だったり、
③第一船体の底のドームが、
↓映画版のように、周囲を追加の部品が囲わない、
↑単なる半球状のキャップがむき出しなのも、
↓テレビ版そのままである。
これについて「シネフェックス」誌では、
「サウスベンド社のエレクトロニックエンタープライズは、
マジカム(マジキャム/Magicam)社が納品した、
撮影用初期モデルを製品化したもの」
と説明している。
当時はしかし、(ネット検索の手段なんてないから)マジカム社の実態などわかろうはずもなく、
“Magicam Star Trek”で検索するだけで、
↓こんな秘蔵お宝映像(ビデオ画像)が、大判サイズで入手できるようになるなんて、
当時は夢のまた夢だった。
とにかく劇中に登場する最終版にたどりつく前に、
途中経過で、テレビ版のデザインをいくぶん残したエンプラが存在したことが、判明しただけだった。
そして、いったんそれがわかれば、
マイク・マイナーが描いた
↓これや、
異様にマニアックなセミプロ同人誌、
「エンタープライズ・インシデンツ」に載った、
↓この制作途中の写真が、
マジカム社の初期型版エンプラなのだと、わかるようにもなった。
実際に、玩具と比較してみると、
イラストも、
モデルも、
外形が一致するのはもちろんのこと、
↓玩具に付属するシールと、
↓イラストのマーキングも共通している。
さて、ではなぜ、途中過程のモデル(まがいもの)なんぞを製品化して、
最終モデル(本物)を製品化しなかったのか?
『スター・ウォーズ』(1977)の空前の大ヒットで、映画公開までに関連玩具の発売が間に合うようになる体制が整ったのは、ようやく1978年以降。
玩具店にSWトイが勢揃いするのは、映画公開から1年も後の、1978年!
つまりこの光景は、映画館で本編が大人気上映中には、影も形もなかった。
それでもSWトイは、売れに売れた。
『スター・トレック』の公開は、製作の難航で1979年末に延期されたが、同時期の『エイリアン』と共に、
ケナー社のエイリアン18インチアクションフィギュア
公開に玩具の発売が間に合った、
ミゴ社のカークの「ちっとも似てない」ラージサイズアクションフィギュア
くしくもボックスアートのエンプラが、マジカム社の初期版ではないか!
ごく限られた最初の数例といえた。
が、玩具の設計と製造は映画の完成より先行しなければならないため、製品は劇中に出て来たとおりの最終版の姿というわけにはいかず、初期準備段階のマジカム版だったというわけ。
と、毎度ダラダラと書いてまいりましたが、
そもそもの疑問、
なぜamtのエンプラのプラモが、
ブループリントとも劇中モデルとも異なる部分があるのか、
への一つの可能性として、
設計段階で最終モデルのデータが間に合わず、
サウスベンドのトイ同様に、途中経過版を模型化した、という仮説も成り立つ。
ただしプラモの場合は玩具と異なり、
塗装、組み立ての手間と工程が省けるので、実物の最終版を製品化するのもムリではなく、
実際に
↓撮影モデルの実物と、
↑プラモ版との差異は、
縮小化と小型化で、細部の特徴を強調するためと、
例① ドッキングポートや角窓の大型化
設計の突き詰めや図面の読み取りが甘く、
「まっ、こんなもんでしょ」と、
例② 円盤形の第一船体の、パネルラインのモールドの食い違い
テキトーにやった結果なだけという気もするが。
またつづく。
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マジカム版/究極の立体エンプラへの道〈6〉
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