これ(「ヤマト・ワンダー」)の続き。
1973年の4月に、脚本家の藤川桂介氏(左)が「宇宙戦艦コスモ」のタイトルを提唱し、
同時期(4月末)に依頼を受けた豊田有恒氏(右)の提案した仮題「アステロイド6」として、しばらく進行していた西崎義展氏の新アニメ企画。
スタジオぬえの提案で、ようやくタイトルが「宇宙戦艦ヤマト」に決まり、題名にかなうビジュアルを担えるアーティスト/デザイナー探しが始まった。
ぬえの宮武一貫氏の推薦で、
「青の6号」に登場するヤマト・ワンダーつながりで、
小沢さとる氏に、デザインを依頼することに。
で、ここからが、新しい情報。
1974年の4月頃。
小沢氏に、西崎氏の元へ来るようにとタクシーを手配したものの、当人は一向に現れず、やむなく西崎氏の方から、宮武一貫氏と共に足を運んだ。
そこで小沢氏が※次回作として見せてくれた原稿は、「ギンガ、ギンガ、ギンガ」と題され、戦艦大和を模した宇宙船が、3つの銀河を旅して、必要な「なにか」を獲得する話で、原稿の下書きは、すでに200ページほど出来上がっていた。
************************
ということで、「ギンガ、ギンガ、ギンガ」の画像を検索するわけだが、
宮武氏が2013年9月のイベントで言及するまで、
この情報は、よほどのヤマト通にも不案内だったわけだから、ネットに画像も(本来)あるわけない。
ならばと「小沢さとる」「ヤマト」で検索して出て来るのは、
「小澤さとる未来展:展示会場」と題されたページの、
↓この画像。
「宇宙戦艦ヤマト:小澤先生デザイン画」
となっていて、
撮影者は前田学史氏、撮影日は2005年7月2日。
次に関連画像が公開されたのは、
知る限り、
2013年7月28日のワンダーフェスティバル
サブマリン707・50周年プロジェクト「オペレーション707」
77歳の小沢氏ご本人に加え、宮武氏も参加したこの催しで、
「ギンガ、ギンガ、ギンガ」の題名と共に、
更に数点の原稿が公開された。
ヤマトは
よみがえった
地球生存の
希望を
その一身に
になって‥‥
その名も
ヤマトワンダーと
名付けられた。
↓
↑
ギンガフィールド
ゼネレーター。
ギンガギンガ航法。
ギンガパルスX線。
ギンガコート。
それにギンガコア。
これら教授によって
発明発見された
もののうち どれひとつが
欠けていたとしても
ヤマトはこうして
旅立つことはでき
なかった‥‥。
「銀河教授‥‥」
このヤマトに
あなたが命を
吹き込んでくれな
かったら 私たちは
手をこまねいて
地球の亡びるのを
待つしかなかった
‥‥。
というわけで、9月の宮武氏のイベント出演と、
小沢氏とヤマトとの関わりの詳解には、
このワンフェスでの原稿展示を、改めて説明する意図があった。
戦艦大和を模した宇宙船だから、
本番の宇宙戦艦ヤマト(1974)に似ててもフシギはないが、
小沢さとる氏の立体・空間把握能力と正確な描写力は大したもので、ヤマト「現役」時代(1974~1983)には、名だたるアニメーターでも、なかなか到達できなかった境地に、最初の数コマであっさりとたどり着き、その後もまったくブレがない。
売り上げランキング: 2,055
↓ロボットを模した司令塔が、
後年のアオシマの独自企画プラモデル、合体巨艦ヤマト(1976・デザインは今道英治)に酷似しているのが興味深い。
原稿の端には「S41」と記されているので、
「ギンガ、ギンガ、ギンガ」(ギンガ・ギンガ・ギンガ?)の執筆時期は、
1966(昭和41)年で、
記事にあるような、「青の6号」(1967)の次回作ではなく、その1年前の作品。
つまり、この宇宙戦艦ヤマトワンダーこそが、
「青の6号」の敵役潜水艦、ヤマト・ワンダーのルーツと言える。
************************
と言うところまでで、今日はおしまい。
この続きは、また。
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち [Blu-ray]
posted with amazlet at 14.01.09
バンダイビジュアル (2013-04-24)