人づてに、
下北沢の、古物玩具専門店、
2丁目3番地
の中村店長が、お亡くなりになっていたと聞き知った。
イベントへの出店が途絶えたことから、
「どうしたんだろう」
の輪が広がり、
事実が明らかになった模様で、
店側からの発表はないらしく、
そこから2丁目3番地(以下「2丁目」)が、
文字通り個人経営のお店だったことも、
うかがい知れる。
中村店長のことを、
わずかなりとも知っている人が情報発信しないと、
それっきりで人知れずで終わるのもどうかと思い、
ここに私が知っていることを書き留めておくことにしよう。
そもそも「2丁目」に行き着いたのは、
スティーブ・サンスイートのおかげだった。
私自身は、和物(日本製のスター・ウォーズ)SW玩具にまったく興味がなく、
↓タカラのダイカスト、「シー・スリーピオ」は、腹からミサイルを発射する。
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↑しかし私はそんな子供だましに興味はなく、当初からこういうリアルな製品にあこがれていた。
ケナー社のアクションフィギュアと、関連トイだけ集めるつもりで、
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その収集活動で知り合った、サンスイートの和物集めを手伝う過程で、
「2丁目」に行き着いたのだった。
1984年当時は、わずか10年ほど前のオモチャをあつかう、古物玩具専門店なんて数えるほどで、
「2丁目」こそ、その先鞭、
和製SW玩具、製品の品揃えは、ここが一番だった。
定価でないプレミア価は、この店をひいきにしていた世田谷の大コレクター、O氏とのやり取りで確立されたという。
中村店長は、ホントにSWが好きで、
1985年に、『帝国』『ジェダイ』の新宿での2本立てオールナイトにも来ていたし、
1987年秋の、パナソニックの渋谷スタンプラリーにもいて、無料配布のシールをたくさんもらっていた。
まあ、自分だってそこに居合わせてたわけだけど。
これと前後して、サンスイート用にひととおりの和物SWグッズを集めきったが、
コカコーラの王冠を流用した、
「マジック王冠当て」という駄菓子屋景品だけは手に入らず、
入手できるとしたら、「2丁目」からしかなかった。
O氏のコレクションファイルで見て、それを知ったので。
中村店長に頼んでみると、
「倉庫にあるはずだけど、いつ出て来るとは約束できないし、せかされるプレッシャーもゴメン」
と、自分のペースが乱されるのがキライな人だった。
1992年以降は、私の本職の職場が変わったこともあり、
イベントでは顔を合わせても、
「2丁目」への来店は、とんとご無沙汰。
阪神淡路大震災の1995年(平成7年)1月17日(火)には行って、お店のテレビに惨状が映し出されていたのは覚えてる。
この時にお店を任されていた店員さんは、中村店長の信頼絶大だったが、
ほどなく別の道を選ばれて退職、これは店長には、かなりきびしかった様子だった。
後任のO氏は企画者の資質があり、イベントを開催、じきに独立された。
王冠商品に話を戻すと、
後年の1997~99年頃に、電話帳みたいに分厚い情報交換誌「QUANTO」に、この王冠当てを売りに出している人がいて、
それがポスターコレクターのT氏で、結局トレードして入手でき、
今ではめでたく、ランチョ・オビ=ワンに収蔵されているわけだが、
まず間違いなく、出処は「2丁目」だと思う。
私が最後に「2丁目」に行ったのは、2011年か、2012年。
下北沢の模型店サニーに寄ったついでに、
なんとなく気が向いて立ち寄り、
めずらしく中村店長と長話した。
他店が、怪獣ソフビだとか、超合金やポピニカだとかの専門アイテムに特化するところ、
「2丁目」は、「少し前によく見かけた、当たり前のオモチャ」にこだわり続け、
店のテイストも開店当初から一貫していた。
最期まで自分を貫き通した中村店長。
安らかにお休み下さい。