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誰も知らないスター・ウォーズ⑭

誰も知らないスター・ウォーズ⑭
 
——と、いつもの流れで行きたいところだが、
その前に。
 
ときおり含蓄にあふれる、
ないがしろにはできないコメントをくださるJOEさんが、
この記事(日本語化への懐疑/誰も知らないスター・ウォーズ)に、以下のような一文を。
 
JOE
 
あまり反響がなかったということで、また一つお願いを。
スターウォーズトリロジーの特典ディスクを観ると、スターウォーズの初期版の編集が凡庸だったので急遽編集メンバーを二人招集したとありました(お名前は失念しました)。その一人はスコセッシの作品に関わっていたと紹介されていました。

ところが町山智浩氏のラジオ番組たまむすび出演時の話によると、ルーカス三部作は全て天才編集者マーシャ・ルーカスによるもので、だから離婚後のエピソード1~3はパッとしないという事でした。これは先ほどの特典ディスクと食い違う発言です。
町山智浩氏は、離婚後ルーカスはスコセッシやスピルバーグなど監督仲間にマーシャを使わないでくれと触れ回し(これは真実ならあまり男らしくないですね)、スコセッシはこれまでマーシャに世話になっていたので困ったとも語っていますが、トリロジーではスコセッシの編集担当だったのは別の男性編集者だった筈です。
この辺りの食い違いにも光を当てていただければと思います。よろしくお願いいたします。
 
これについての具体的返答は、
(今回はとても間に合わないので)また後日に譲るとして、
何と、このコメントでふれられたマーシャ・ルーカスについてが、
文中にも久々に出て来るので、
はからずもJOEさんのコメントが、「よげんの書」となりはしたが、
とりあえず注目してお読み下さい。
 
『帝国』と『ジェダイ』の間を埋めた作品群

第1作『SW』と『帝国』の間を埋めた映画とは異なり、『帝国』と『ジェダイ』を埋めた作品群は、LF L社の新シリーズだったり、あるいはそこでルーカスと手を組んだスティーヴン・スピルバーグの作品になった。

ルーカスとスピルバーグは映画のジャンルや傾向が似通っていることもあり、当時は世間に混同されていて、1990年代前半のオックスフォード英米文化辞典でさえ、SWはスピルバーグ監督によると誤記されていたほどだった。

『帝国』の1年後の1981年には『レイダース/失われたアーク(聖櫃)』が公開され、これは主演がハリソン・フォードで、アクションの連続と快調なテンポや、特撮をILMが担当するなど、いかにものルーカス色にあふれていて『帝国』と通じる部分が多々あり、LFL社のもう一つの看板シリーズとして幸先の良いスタートを切った。

またジョン・ランディス監督の『ブルース・ブラザース』(1980)にも 『帝国』を彷彿とさせる要素が随所に見受けられる。

スピルバーグは1982 年に『E.T.』で『SW』第1作を越える大ヒットを記録し、翌年の『ジェダイ』 がまたこの記録を破るのではと期待された。この『E.T.』と、同時期に並行して製作された、スピルバーグ製作指揮、トビー・フーパー監督の『ポルターガイスト』の2作品には、アメリカの一般家庭に、いかに SWグッズが氾濫していたかが良く描かれている。

こうしたルーカス、スピルバーグのお子さま向け路線とは別に、『エイリアン』で頭角を現したリドリー・スコット監督が、『ブレードランナー』(1982)で革新的なビジュアルを展開し、本作品はカルト化してSF映画史に新たな1ページを加えた。

 

『リベンジ』か『リターン』か

 

二転三転した第3作のタイトルについては、その顛末が資料と併せて『SWヴォールト』に詳しく載っているが、1981年 2月20 日付の手書きの第一草稿から9月21日の第二草稿まで、一貫してタイトルは『リベ ンジ』で、これが同年11月1日の改訂第2稿から『リターン』に変更されている。

ルーカスは「マスコミの情報争奪戦が過熱し、機密漏洩に気をつけなければならず、製作用の仮タイトル『リベンジ』で進行したが、 当初から『リターン』で公開するつもりだった」と後年に述べている。

『ジェダイ』の監督にはデビッド・リンチの名も上がり、実際に打診もされたようだが彼は引き受けず、1984年に『砂の惑星』で大河SFドラマを監督した。フランク・ハーバートの原作小説は、SWの砂漠惑星タトゥイーンにも大きな影響を与えていたから、ある意味でリンチは、自分版のSWを作ったことになる。

結局『ジェダイ』の監督には、ウェールズ出身の英国人、リチャード・マーカンドが抜擢され、その理由は前作『針の目』(1981)での地味ながら手堅い演出力をルーカスが認めたから、となってはいるが、いつまでも適任者に行き着かず、ならば撮影地イギリス出身の監督をとりあえず据えておけば、後はどうにでもなるだろう、という判断だったようだ。

実際に『ジェダイ』の撮影が始まってみると、マーカンドとルーカスの指示が食い違うことが頻繁で、結局『帝国の逆襲』を監督したアーヴィン・カーシュナーが多くの場面の演出を代行している。それでもマーカンドはSWチームやルーカスファミリーを自認して、次回作『白と黒のナイフ』(1985)の子ども部屋のシーンに『ジェダイ』のポスターをさりげなくあしらうなどしていた。しかし『ジェダイ』で生活が激変したのか直後に離婚し、『ジェダイ』公開からわずか4年後の1987 年に、若干49才の若さで心不全で急死してしまった。

『ジェダイ』につきまとった創作上の難関

そもそもは一つの話だったものを三分割して引き延ばしていた旧三部作は、『ジェダイ』によってようやく本来の物語を語り終えたことになる。デス・スターが再登場するのは、本来この物語がデス・スターの破壊でしめくくられるはずで、第1作の時に結末を変えられずにその登場を早めておきながら、結局最終章になってもそれ以上のアイデアが浮かばなかったためである。『ジェダイ』の再建デス・スターは大きさが初代の2倍で、その建造場所が衛星エンドアの軌道上というのは、準備草稿で2基に数が増えていたデス・スターを建造しているのが、帝国の首都惑星の軌道上だったことのなごりである。

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また未開種族イウォークが帝国の近代兵器と対等に渡り合い、最後には勝利するアイデアは、ルーカスとジョン・ミリアスが温めていた『地獄の黙示録』(コッポラが監督して完成したのは1979年)の初期構想の骨子を受け継いだものである。すでにSW第1作の草稿で、ルークがチューバッカの種族ウーキーの住む惑星で族長との決闘に勝ちながら、彼のとどめを刺さずに命を救ったことで種族の信頼を勝ち取り、ウーキー 族に戦闘機の操縦を教えてデス・スターに総攻撃をかける案が出ていたものが、ここにきて焼き直された。 そのためウーキーが長身ならイウォークは小柄と体格的には正反対だが、イウォーク(Ewok・より厳密には イーウォック)という種族名は、起源を暗喩するウーキー(Wookiee)のアナグラムになっている。 『帝国』でダークでハードなSW世界観の深化に酔いしれたコアなファンは、この人を小ばかにしたような新生物のイウォークを激しく嫌ったが、ルーカスは逆に、第1作でせっかく幅広く獲得した観客層をマニアに絞り込んでしまった『帝国』の方向性を嫌っており、前2作を見ていなくても、つまり『ジェダイ』がSW初体験となる低年齢層でも楽しめるように、あえて子供ウケする可愛らしいキャラクターを大挙登場させることにした。それ以外にも、第1作では酒場で切り落とされたエイリアンの腕が血まみれで横たわっているショッキングなシーンがあったのに、本作では流血はほとんど目立たなくなるなど、小さな子どもでも安心して観られる、ファミリーエンタテインメント、往事のディズニー実写作品のようなものが目指されることになった。

ちなみにルーカス本人は、実はディズニーやディズニー的なものをあまり好んでいない。裕福な少年時代には、アナハイムのディズニーランドのオープニングから1週間を泊まりがけで満喫はしたが、ディズニー 独特のほんわかと甘ったるい雰囲気や、スリルや死の危険と無縁の呑気さは自分の性には合わなかった。だからこそ自作の映画には危険なシーンや残酷描写などの非ディズニー的な要素をあえてたっぷり盛り込んだわけで、これは1989年にアナハイムのディズニーランドにスター・ツアーズがオープンした時も同様だった。 このライド(アトラクション)の特色は、パーク内の他のライドと比べて異色な、次はどうなってしまうのかというスリルに主眼を置き、それこそがディズニー主導でなく、ルーカスがあえて手がける意義でもあった。やがて後年のディズニー実写映画にこうしたスリルがはからずもなぞらえらえて、大人向けブランドのタッチストーンや系列会社のニューラインの作品へと模倣されていく。

『ジェダイの復讐(帰還)』は、第56回アカデミー賞で美術、音楽、音響、音響効果編集の3部門にノミネ ートされ、その3つでの受賞はいずれも逃したものの、特別功労賞として特別視覚効果賞を無競争で獲得した。

 

小さき人々への配慮

 

『ジェダイ』で小柄なイウォーク族に扮する役目に応募してきたミゼットの中には、実生活では身長が高いなどと言われたことがなくても、136 センチ以上であれば高すぎると断られてしまった人もいた。イウォークの中でも主人公的な役割を果たしたウィケット・W・ウォーリック役には、わずか11歳の少年、ウォーウィック・デイヴィスが選ばれた。実はウィケットの劇中の役どころは、R2-D2を演じたケニー・ベイカーの扮したパプルーが行う予定だったが、撮影初日にベイカーが体調を崩し、代わりに該当シーンをウォーウィックが演じたために、このイウォーク2体の役柄が交代された。ウォーウィック少年は撮影現場のマスコット的存在となり、撮影の合間に助監督のデビッド・トンブリンが即興的に撮りだめしたウィケット少年の奮闘記、『リターン・オブ・ザ・イーウォックス(イウォーク族の帰還)』と言う短編映画もつくられた。ルーカスはいつかウォーウィックを主演に別の映画を撮ることを約束して、それが後年の『ウィロー』に結実する。

 

 

第1作目のR2に代表される小型ドロイド、ジャワズやカンティーナのエイリアン、『帝国』の雑役夫アグノート、そして『ジェダイ』のイウォークと、世間はミゼットを珍奇な見せ物扱いしているとルーカスの姿勢をけなしたが、出演した本人たちはみな一様に、自分たちにたぐいまれなる映画デビューの機会を与えてくれたことで、ルーカスには大いに感謝の意を示している。

 

クリーチャーと人間の混在する宇宙

 

第1作ではカンティーナ(酒場)の酔客やモス・アイズリーの街路を歩く群衆をのぞけば、帝国軍にも反乱軍にも、人間の兵士やパイロットしか見かけなかったが、『ジェダイ』ではアクバー提督に代表されるモン・ カラマリという種族、ナイン・ナンやテン・ナムというサラスタン(サラスト人)のパイロット、プルーン フェイス(赤ら顔)とあだ名される、後年設定ドレッセリアン等の異形のエイリアンが反乱軍には大挙集結していて、かつてのナチス第三帝国がドイツ純血主義を徹底していたように、人間のみで構成される帝国軍と、それ以外の全銀河の知的生命体連合軍の最終決戦が描かれた。こうなると、第1作の反乱軍にエイリアンの姿が全く見られなかったのは、単にマスクを作る予算がなかったためだとわかり、またルーカスは創作に自由な環境が整いさえすれば、あえて不本意だった既公開作の設定や世界観にとらわれないことが明らかになった。彼が前作の設定を平気で無視する傾向は、後年に再開する新三部作で一層拍車がかかる。

 

都市伝説の否定

 

ハリソン・フォードは、自分が演ずるハン・ソロを『ジェダイ』で殺した方が、ストーリーに重みが加わっていいのではないかと考えた。しかしルーカスは子ども時代に夢中になった物語で主人公が死んでしまうとがっかりしたことをよく覚えており、本筋としての物語を優先して、この意見を聞き入れることはなかっ た。

だが劇中では、反乱軍の仲間に犠牲が生じる可能性がほのめかされている。ハンが反乱軍のクルーザー船内の戦闘機格納庫を後にする時、ファルコンをながめ、「ヘンな気分だ。もう2度と会えなくなる気がする」 と言い、これがクライマックスでファルコンがデス・スターから脱出する際のサスペンスを高めているが、 準備稿の中には、この脱出に失敗し、ファルコン共々、操縦していたランドも道連れになる案も存在していたのではないかと言われていた。しかし全ての脚本を読み通したローレン・ブズローがその成果をまとめた著書、Star Wars: The Annotated Screenplays(注釈付き脚本集)の中で、このような記述は脚本の全過程を通して一切なかったと発表されている。これもまた、数多くあるSWにまつわる都市伝説の一つだったようだ。

 

 

マーシャとの離婚とピクサー売却

 

『ジェダイ』製作の終盤には、ルーカスは妻のマーシャとの離婚問題が浮上した。SW終了宣言や、今後は映画製作よりも家庭を顧みて娘アマンダの養育に力を注ぎたいという発言、そして次回作『インディ・ジョ ーンズ/魔宮の伝説』(1984)でのダークな残虐趣味のつるべ打ちは、当時のルーカスの落ち込んだ気分と無縁ではないだろうし、彼が本心を隠して、体面上の理由を述べるためにマスコミを利用する手口は、この頃 から本格化し始めた。

SW第1作の大ヒットで一躍マスコミの寵児となったルーカスは、しかし実際に掲載された新聞や雑誌の記事では、自分が発言していないことまで勝手に盛り込まれていることに不快感を示し、一時はたいへんなマスコミ嫌い、マスコミ不信に陥った。『ジェダイ』公開の前に、『シネファンタスティーク』誌がベイダーの改心というストーリーの要や、新生物イウォークの姿をすっぱ抜いてしまった時には、今後一切、同誌への協力を断つという強硬手段にも出た。

やがてルーカス帝国は肥大化し、新聞も雑誌もルーカスの発言通りに記事を掲載しないと取材許可も下りなくなると、彼はこうした活字媒体を自分の都合の良い形に利用するようになる。たとえば『ジェダイ』でシリーズを中断したのは、マーシャとの離婚問題でやる気が失せたからだったことには一切触れず、あくまでもテクノロジーが発展途上だったから、ということになっている。

マーシャは編集の名手で、第1作では監督の夫ジョージを差し置いてアカデミー賞を受賞し、作品にも貴重な鋭い意見を与えてくれる良き協力者だった。しかしSWが成功し、シリーズが続くにつれてマーシャの影は薄くなっていき、編集者としての実力を発揮できぬまま、偉大なる夫ジョージの存在にかすむ家庭の主婦に甘んじていた。やがてマーシャは才能をほめそやされてよろめいたのか、自宅の模様替えに訪れたインテリアデザイナーと浮気をして、これを知ったルーカスの逆鱗に触れ、家庭からだけでなく、映画業界からも追放されてしまった。

とはいえアメリカでは、資産家が離婚すれば、財産のかなりの部分が別れたパートナーのものとなる。ルーカスは資産の分与については異を唱えることもなく気前のいいところを見せはしたが、かといって個人資産を切り崩す気は毛頭なかったので、自分が持っている多くの会社の中から、業績の上がっていない会社を切り売りして、その売り上げを離婚費用に充てることにした。

こうして売却されたのがピクサー社で、同社はLFLコンピュータ部門として発足し、業界の先駆者を擁して、ILMのアナログ特撮では不可能なデジタルVFXを供給するために存在していた。巨額の研究予算を費やしながら、『ジェダイ』の戦略ディスプレイと、『スター・トレック2/カーンの逆襲』(1982)のジェネシス・テープ、『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』(1985)のステンドグラスの騎士と、わずか3作品にデジタル視覚効果を供給するにとどまっていた。ではそれ以外にピクサーのスタッフが日々何に取り組んでいるのかと言えば、彼らが目指しているのはもっぱら平面アニメーションの3D化(画面に映る物体に縦・横・高さの三次元情報があるもの、つまり3DCGもしくはCGアニメ)であり、これはルーカスの同社設立の主旨とは全くそぐわないもので、売却の表向きの口実となった。

 

ルーカスが売りに出したピクサーを買い取ったのは、自分が創立したアップル・コンピュータを内部造反によって追われてしまい、ネクストステップ社でくすぶっていたスティーブ・ジョブズだった。ジョブズは後年に、これほど会社の維持や研究開発に資金が必要だとわかっていたら、ピクサーを買い取りはしなかったと打ち明けているが、1989年に劇場用アニメ『トイ・ストーリー』の大成功からピクサーの快進撃は続いたので、ジョブズの投資期間はわずか5年以内で済んだことになる。

 

今回はここまでです。


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