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誰も知らないスター・ウォーズ⑩

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誰も知らないスター・ウォーズ⑩

daresira

ロスからシスコへの引っ越し

第 1 作のポストプロダクション(特撮や音響などの、主要撮影の後の作業工程)は、映画産業の拠点ハリウッドに近い方が好都合との判断からロサンゼルスで行われ、SWのライセンスビジネスの拠点、スター・ウ ォーズ・コーポレーションも、20 世紀フォックスではなく、ユニバーサル・スタジオの敷地内にあった。

これが『帝国』の前準備の段階から、北に560キロも離れたサンフランシスコ郊外に、ILMを含めたLFL社の全拠点が引っ越したのは、単なる施設拡充に便利だっただけでなく、ILMのクルーがダイクストラにつくか、ルーカスにつくかという、ある種の踏み絵的な意味合いもこめられていた。

当初からのILMの主要メンバーだったリチャード・エドランドは、第1作と『ギャラクティカ』の経験から、ルーカスには具体的なビジョンが明確にあり、指示が的確だということを痛感していた。第1作の製作時にはILMを信用しきれなかったルーカスは、エドランドらがより良い代案を提案しても頑として聞き入れてくれなかったが、『ギャラクティカ』の制作陣は正反対に、何のアイディアも持ち合わせておらず、一切をILMに任せきりだった。

 

この事実がジョン・ダイクストラの見込み、つまりあの・・SWの特撮を担当したことを売りにすれば、クライアントはILMのクルーになら、細かい注文を出さずに全てを任せてくれるだろうという慢心へとつながり、実際に彼の一派は、機材ともどもロス郊外ヴァンナイズに残って社名をアポジーと改名、『アバランチ・ エクスプレス』(1979)『ファイヤーフォックス』(1982)の特撮を担当した。

一方でシスコ移転に同行した技術クルーには、前述のエドランド以外に、デニス・ミューレンやストップモーションを得意とするフィル・ティペットなど、カスケード・ピクチャーズ出身者が多かった。

カスケード社はおもにCM用の面白映像を供給する会社で、茶目っ気のある作風が売りだった。ルーカスはカスケードの主宰者であるジム・ダンフォースに、『SW』の特撮を手がけてくれないかと、ダイクストラより先に声がけしているし、ILMの運営が頓挫しかけた際にも、ダイクストラの後任を持ちかけながら、 どちらも断られたという経緯もあった。

信頼されたクルーとルーカスの連携作業はスムーズになり、戦闘場面のプランニングなどは、ルーカスは脚本に「ここから戦闘開始」程度にしか書いていないものを、ILMのスタッフが知恵を絞り出しては、ルーカスと意見交換をしながら、次第に煮詰めていくというやり方に変わっていった。

 

いよいよの次回作始動

 

第1作『SW』は、ふくらみすぎて1本の映画には収まり切らなくなったものの最初の1/3を描いただけで、ラストでダース・ベイダーは生き残り、続編への含みをもたせて映画は終わっていた。

そこで続編『帝国の逆襲』となるわけだが、初期構想で1作目のために用意されていたもので、本作で復活したものはあまり多くない。第1作の草稿では、レイア姫が帝国軍に捕らわれているのはデス・スターではなく、雲間に浮かぶ監獄要塞だった。

この雲の惑星がベスピンになり、監獄要塞は空中都市クラウド・シティになった。

そのため『帝国の逆襲』のプロダクションペインティングとして最初に発表された、マクォーリーに描かれた雲間の空中都市の情景は、

第1作のために用意されながら未使用に終わったもので、画面左に飛んでいるタイ・ファイターも、コリン・キャントウェルという立体デザイナーが製作したプロトタイプのままの姿だった。

それ以外のストーリーの大半は、第3作『ジェダイ』までのつなぎや橋渡しの要素として、新たに考案されたものである。

 

 

 

当初の壮大な話数構想とは?

『帝国の逆襲』の冒頭に、エピソード5(第5話)と出たのは、当時の観客には衝撃だった。では前作『SW』はエピソード4ということになるのか、そして『帝国の逆襲』に相当する前作の副題はなにか、といった興味と共に、ならばSWシリーズは、全部で何話になるのかという新たな疑問を誰もが抱いた。

まず、第1作が4話、第2作が5話という位置づけが、決して当初からのものではなかったことに着目したい。

第1作の話数記述は、1975年5月のシノプシス(あらすじ)で初登場し、『ルーク・スターキラーの冒険/エピソード1 ザ・スター・ウォーズ』となっていて、その後の草稿で「サーガ1」などと変更されるが、常に話数としては1話である。

一方で『帝国』は、1977 年12月2日のストーリー検討会議の議事録でチャプター2(第2章)とされ、 1978年2月のブラケット最終稿でも「スター・ウォーズ・シークエル(続編)」としか記されていない。「エピソード5」と明記されるのは、ようやく 1979年2月20日付けの、最終第5草稿である。

SWサーガが全部で何話になるのかについては、当時のメディアの報道は様々で、全9話というのが通説だったが、中には全12話というものまであった。

ルーカスの発言や声明は、後で修正や変更されてしまうことが頻繁だが、別に本人としてはうそをついているわけではなく、あくまでも発言している時点ではそうするつもりでいるのだが、後になって自分の気持ちと実際の状況、さらに会社の事情や戦略がからみあって、以前の発言通りにはならなくなり、それに併せて発言を修正しているというのが、本当のところだろう。

後年の新三部作時代になってからルーカスは、「そもそも 3 話分しか話は用意しておらず、それ以外は全くの白紙だった。その3 話にしても一つの話が大きくなりすぎたから三分割したまでのこと。最初に公開したのが第4話だったのは、途中の話数から見てもそれなりに楽しめた、往年のシリアル(連続冒険活劇)の精神に則ったため」だとか、「4・5・6が終わったら、次は1・2・3ですよねと聞かれるからうなずいた。 ではその次は、そのまた次はとたたみかけられるので、適当にリップサービスしただけのこと」と当時を振り返り、『3』終了後にあらためて『7・8・9』は作る気がないと宣言したその最たる理由として、自分の年齢のことをあげている。

しかしルーカスが『ジェダイ』でシリーズ継続を中断したのは、技術面以外にも、彼自身の私生活や当時の心境が大きな影響を及ぼしており、まだ上り調子の『帝国』の頃には、SWは3年に1本のペースで作り続けて、現在とは異なる『1・2・3』と、『ジェダイ』以降の『7・8・9』構想が温められていた。

最初の2作のプロデューサー、ゲイリー・カーツが聞いた構想では、『1・2・3』はジェダイとシスの起源と対立を描き、『7・8・9』まで皇帝との戦いは続き、帝国の体制崩壊がより具体的に描かれて、『9』 のラストでレイアが新体制のリーダーとして戴冠し、ルークは一人いずこかへと旅立っていくはずだった。

全9作計画を裏付ける根拠は他にもある。『帝国』当時に全9部作構想が発表された時には、その全作に登場し続ける皆勤賞組は、ドロイドコンビのR2-D2とC-3POだけだとされていた。ところが2005年に6部作として映画が完結してみると、アナキン・スカイウォーカーは途中からダース・ベイダーに名前と姿が変わり、オビ=ワン・ケノービはベン・ケノービと別名を持ちながら、結局2人とも全6作に登場しているわけで、全作に出ずっぱりのキャラクターは、C-3POとR2-D2だけというわけではなくなったから、ここからも総話数計画が途中で変更されたことが読み取れる。

 

 

『帝国の逆襲』が第5話だったこともそうだが、

〈特別篇〉三部作(1997)の時にも、

当初の構想どおりの映画化/映像化とうそぶくようになったルーカス。

 

「ダース・ベイダーがルークの父」と言うのも実は、

後からでっち上げだったので、

この記事(いつから父に?)から抜粋再録。

2010年07月05日

 

ふと疑問に思ったことはありませんか?

ダース・ベイダーは、

1sakume
いつから 「ルーク・スカイウォーカーの父」 ということになったのでしょう?
2sakume
eeeee
「何言ってンの? 最初からに決まってんじゃん!」と思ったそこのあなた、
tennsai
だってジョージは天才だから? いやいやいやいや、んなこたぁない!
 
それは甘いっ! というより、ルーカスを買いかぶりすぎている。
では、経緯を見ていきましょう。
 
1971年
ユニバーサル社が
yuni
「アメリカン・グラフィティ」(以下アメグラ)と「スター・ウォーズ」(以下SW)の2本製作を契約。
しかし後に「SW」は企画の初期段階で却下。
 
1973年
「アメグラ」完成の数ヶ月後に、
meru
ルーカスは "The Journal of the Whills"「ホイルス→ウィルズ銀河史」 のタイトルでストーリー概要を執筆。
難解すぎて本人以外には理解不能
ルーカスは次に13ページのあらすじ、The Star Warsを執筆。
tsw
 
これは「隠し砦の三悪人」(1958)の
kakusi
大雑把な翻案だった。
 
1974年
あらすじは映画脚本の草稿に発展。 追加要素に
*シス
しす
*デス・スター
ですすたー?
↑ピーター・エルソンの1976年の作品 ※写真と本文は関係ありません(笑)
 
*主人公の若者アニキン・スターキラー(Annikin Starkiller) があった。
第2稿で大胆な簡素化。
*農場暮らしの主人公の若者がルーク
suta-kira-
*「アナキン」(Anakin)はルークの父、聡明なジェダイナイトとなる。
*超自然的な能力としてフォースが登場
第3稿で
*父親キャラが消滅、かわりにベン・ケノービが登場。
bennbenn
 
1976年
映画撮影用の準備稿として第4草稿が完成
タイトルは
Adventures of Luke Starkiller,
as taken from the Journal of the Whills,
Saga I: The Star Wars
kutytr
こんな長いタイトル、ありえないでしょ!
ウィルズ銀河史より、ルーク・スターキラーの冒険
サーガ1「ザ・スター・ウォーズ」
 
製作中に
*ルーク・スターキラー
 ↓
 ルーク・スカイウォーカー
*上述のクソ長いタイトル
 ↓
 ザ・スター・ウォーズ
 ↓
 スター・ウォーズ
に変更。
この時点ではSWのシリーズ化など念頭になく、
第4稿では、デス・スターの破壊が
desusu
帝国の体制崩壊につながって、
saigo
映画1本で物語は完結する予定だった。
 
一方でルーカスは、
*本作がシリーズの第1部にあたる
という認識はこれ以前からあり、少し後になって、
*2つめの三部作の冒頭という位置づけになった。
 
〈1994年の、ルーカス自身の当時を振り返ったコメント〉
「SWの脚本を書き始めてすぐに、これは1本の映画にはとうてい収まりきらないとわかった。スカイウォーカー家やジェダイ騎士団について語り切るには、最低でも9本の映画、つまり3つの三部作が必要になる。そうすると最初に取り組んでいる作品には、前日譚と後日譚があるはずだから、真ん中の三部作なんだとあらためて気がついた」
 
第2稿には、結局作られなかった、オンドースのプリンセス"The Princess of Ondos"をほのめかす内容が書き加えられていた。

数ヶ月後の第3稿までには、ルーカスは今後2本の続編をつくる契約をフォックスと結んでいた。
touji
 
この後すぐ、アラン・ディーン・フォスター(SF小説家だが、ノベライズ作家的傾向の方が強い) fosuta-
↑フォスターは「まんが宇宙大作戦」の小説化で手腕を発揮、最近では「スター・トレック」(2009)のノベライズも手がけている。
 
↓実はSW1作目のノベライズも、ルーカス名義だがフォスターが代筆している。
noberu
 
と会合したルーカスは、この続編2本を小説として書くライターとして、彼を起用。
あくまでも当時の構想としては、もし映画SW(1作目)が成功したら、フォスターの小説を映画脚本に手直ししようというものだった。
ルーカスはまた、自分が執筆するガイドラインがわりに、SW世界の基本ドラマ設定(バックストーリー=前日譚)も固めていた。
 
1977年
SW1作目がヒットして、ルーカスはこの1作目を続編の出発点として位置づけることに決めた。
yonngu
その一方で、これ1本きりでSWを終わらせて、一切続編は作らないことも考えないわけではなかった。 kikiki
ルーカスは、大手スタジオお抱えでない、個人映画作家が集える場所(後のスカイウォーカー・ランチ)を建設したいと考えてもおり、
rannchi
その建設資金に、SWをシリーズ化した収益をあてがえないものか、とも考え始めた。
フォスターはすでに続編第1作の小説版執筆に取り組んでいたが、ルーカスはこれを映画化するのを断念。
小説は翌1978年に、 Splinter of the Mind's Eye
かばー
と言う題名で出版された。
しんらky
当初は「007」同様に、
no-
riosua
go-rudo
huyuyt
nidosinu
onnri-
映画SWシリーズに、話数だとか連番を割り当てる予定はなかった。
1977年8月の「ローリング・ストーン」誌のインタビューでルーカスは、
koreyakore
*友人の監督たちに1作ずつ撮らせて、各人の持ち味をシリーズに加えて欲しい。
前日譚(裏設定)の中には----
*ダース・ベイダーが悪に寝返り(ダークサイドに堕ち)、
saido
*ルークの父を殺し、
*ベンと火山で決闘し、
borukeno
*共和国体制が崩壊する
ripa
----というのがあるので、続編の大きな見せ場となるだろう。 と語っている。
この年の秋には、ルーカスは自分と共同でスターウォーズ2 (Star Wars II )の脚本執筆のため、SF作家のリイ・ブラケットを起用。
rii
構成会議を重ね、11月下旬までに、ルーカスは「帝国の逆襲」 The Empire Strikes Backを冠した手書きの概要を書き上げる。 映画本編と大筋で一致しながら、
ダース・ベイダーがルークの父だと明かされる場面はない。
この概要をルーカスが書くための下敷きになったブラケットの第1稿では、ルークの父は息子の修行を手ほどきするため、霊体の姿で現れる。
 
1978年
年頭にブラケットが草稿第1稿を完成させる。
ルーカスはあまり感心しなかったが、それを伝えるまもなくブラケットはガンで他界。
新たに起用する脚本家が見つからず、ルーカスは次の草稿を、自分一人で手がけるしかなかった。
このルーカス単独の草稿からようやく、「エピソード」(第○話)記述が登場する。
「帝国の逆襲」は、はじめは「エピソード2」(Episode II)だった。
ブラケットの草稿にない新味やひねりを加えようと考えたルーカスが思いついたのが、 ベイダーがルークに、自分が父親なのだと打ち明けることだった。
confession
(抜粋転載終わり)

 

ゲイリー・カーツとの確執

 

第1作から二人三脚の体制で取り組んできたルーカスとカーツだったが、『帝国』終盤の追い込みになって衝突した。できの悪い特撮ショットと、エンディングの特撮の少なさにカーツが異を唱えたのに、ルーカスはそのまま公開しようとしたためだ。カーツは打ち上げパーティーが終わった後で、ILMのケン・ローストンを呼び、不具合の目立つシーンを撮り直して、どうにか公開プリントに間に合わせた。ルーカスは第1作で20世紀フォックスに製作費を出させたために、様々な制約が生じてしまったことを悔い、二度と同じことを繰り返さないようにと、『帝国』は基本的に全額を自社でまかない、不足分は銀行から融資を受けてまで、 フォックスの資金援助だけは徹底的に拒んだ。そうした苦労に我関せずで、資金について頭を巡らすべきプロデューサーが、公開延期の危険をおかしてまで作品の中身にこだわるのは、ルーカスには絶対に願い下げだった。こうしてカーツは本作をもってSWシリーズのプロデューサーの座を降りる。ファンやマニアの評価で、カーツがいたからこその初期2本のできの良さと、それ以降の4本の質の急落ぶりを嘆く声は多い。

しかし旧三部作の時代とその後10年あたりにおいては、LFLの観点では、もっぱらビジネスとしての成功こそが評価の絶対基準であり、ILMを抜けたダイクストラの低迷ぶりや、SW以降のカーツのプロデューサー業の不振によって、常にルーカスこそが勝利者であり正しく、彼以外の者は敗北者であり間違っているということになってしまった。

 

ここからが本文にはない本記事の追加情報で、

ゲイリー・カーツ氏には、

2010年のSWCフロリダでインタビューしたので転載採録しておこう。

 

ゲイリー・カーツ(2018/9/23没)
serebu
——ジェイソン(・ジョイナー/イギリスに拠点を移したカーツが手を組んでいるビジネスパートナー)とは、うまくいってますか?
(ちょっと警戒した表情で)「ああ、(それが何か? なんだこいつ?)」
——ボク、イギリスに旅行した時、彼の家に泊めてもらったんですよ。もう20~30年ほど前ですけどね。
「ああ、そうなのか(なんだ、そういうことか)」

※ジェイソン・ジョイナーについては、いずれ皆様にお話する時が来るかも知れません。
——「『5/25/1977』って、どうなったんでしょうか?」
※ SWファンの騒動を描いた映画といえば、『ファンボーイズ』(2008・日本公開2010)が思い出されるが、2000年頃から、1作目『スター・ウォーズ』の公開初日を描いた青春映画『5/25/1977』が企画されていたはず……なのに、完成のウワサが全く聞こえてこない。
「実現にこぎ着けかけると、新たに別のゴタゴタがって感じでね。シカゴの出資者と別の出資者が仲間割れして互いに訴え合ったりしちゃって、結局完成のめどがたたずじまいなんだ」
——トレードマークのあごひげを、いつから剃られたんですか?
「ああ、ずいぶん前から剃りっぱなしだよ。1990年からだね」
※カーツは自己破産を幾度か経験しており、その何回目かでの「ゲンかつぎ」だったと推測される。もちろん、面と向かってその話はしませんでした。
——まったく個人的な意見ですが、私に取ってのSWは、(カーツがプロデューサーをつとめた)最初の2本(『スター・ウォーズ』と『帝国の逆襲』)だけです!
無言で強く頷き合い、固い握手を交わしたのであった。

 

今回は以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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