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45年ぶりの再見『タワーリング・インフェルノ』

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『タワーリング・インフェルノ』

2020/9/5 グランドシネマサンシャイン シアター6 BESTIA g-8

 

 

『インターステラー』をIMAXで鑑賞後、

同館で他に観る映画はないかと探ったところ、

なんと、『タワーリング・インフェルノ』が上映されているではないか!

 

これはなにがなんでも見なくては!

 

1961年生まれの私は、

映画館で初めて見た字幕版洋画が、

日本では1975年公開、

14歳の中学2年生でようやくの

『タワーリング・インフェルノ』だった。

 

 

それまでは、ディズニーの『青きドナウ』(1963・再公開で鑑賞)みたいな子ども向け映画か、

※歌はともかく、セリフは日本語吹き替え版だった。

50年を経た今、ふと手段を探り再見しても

要所(変声期の少年の背中越しの姿)は覚えていたから不思議です。

 

テレビの洋画劇場の吹き替え版だった。

 

私より一つ年下(1962年生まれ)の町山智浩氏が最初に観た映画は、

お父さんに連れて行ってもらった、

『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)だったそうだから、

そういう大作/パニック映画の世代でもあったわけ。

 

 

 

 

 

 

この前『糸』のレビューで、

「この映画を悪く言いたくない」としたのは、

元になった中島みゆきの歌『糸』と共に、

作品に人生の真理が込められているからで、

それは何かというと、

誰の人生にも、自分では予期せぬ人との出逢い(の導き)があるということ。

 

それは人だけでなく、

土地や場所であったり、

作品だったりもするわけ。

 

密接に関わる時もあれば、

疎遠な時もあり、

つながった糸が切れることもあれば、

またつながるように、

その人にとっての運命ならば、

再会の機会が必ずある。

 

この、自分以外の何ものかの意志や計らいによる導きは、

誰にでもあると思うが、

それに気づける人と気づけない人がいるらしく、

中島みゆきは気づける人を幸せと定義しているのだろう。

 

私にとっての、

人でも場所でもなく、

映画館/本格劇場用映画との出逢いは、

まずは『タワーリング・インフェルノ』であり、

その運命作に45年ぶりに映画館で再会したのは、

人生を一巡りしたような独特の感覚だった。

 

 

誰でも、初めて海外旅行に選んだ国に人生を影響されると言うが、

映画作品だって同じことで、

『タワーリング・インフェルノ』には、

  • アメリカ大作・特撮映画で、公開時に記録的ヒット作となった
  • 音楽がジョン・ウィリアムズ
  • ポスター・アーティストがジョン・バーキー
タワー
 
バキバキ
金婚
LP
バーキー
——等々の、これ以降にも私がハマリ続ける
スピルバーグ作やジョージ・ルーカス作の片鱗が見受けられた。
 
でもって『タワーリング・インフェルノ』は、
高層ビルの火災映画として考えられる見せ場をこれでもかとぶち込む、
大サービス精神にあふれた映画で、
初回で印象的だった、
  • 送迎ヘリのパイロットにガッツポーズのポール・ニューマン
  • 憎まれ役を生き生きと演ずるリチャード・チェンバレン
  • 本当の火災なら黒煙がもうもうと巻きあがるはずが、炎だけがクリアに写る
  • 階段の爆発のたびに、構造的に隣接していないビルの外壁も吹き飛ぶのは奇異。
——等々がまざまざと思い出されると同時に、
  • 最上階での最終作戦の後、生存者はどうやって地上に降りてきたのか
——については「そこまでは考えておらず」(劇中で言及あり!)、
結局そのままごまかされたことにオドロキ。
 
そしてなんといっても、銀色の防火服をまとったマックィーンがヘリに乗り込むところから、
しかけた爆弾の爆発までを途切れなく音楽で紡いだ、
ジョン・ウィリアムズのとてつもない才能にも舌を巻いた。

彼こそが、本映画の最大の殊勲者です。
 
そんなこんなで、
とにかくなにしろ、
大大満足の45年ぶりの再見でした。
 
この再会まで生き延びた自分の強運にも感謝です!
 

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