映画『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』
2020/3/27 TOHOシネマズ西新井 スクリーン7 E-10
3月27日の金曜日と言えば、
ブログ記事、一度見てみよう!『一度死んでみた』
を、半分まで書き上げたところで、
翌日の3月28日(土)、
翌々日の3月29日(日)はシネコンが休館と知り、
「上映中の作品は、本日中に見ておくに限る」と気がつき、
あわててTOHOシネマズ西新井に。
『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』
と
『ミッドサマー ディレクターズカット版』
をハシゴ鑑賞。
でまあ、
まずは『三島由紀夫VS東大全共闘』の感想を。
昭和の対決企画というと、
アントニオ猪木対モハメド・アリとか、
企画倒れに終わるものが多かったが、
1969年(昭和44年)5月13日に東京大学駒場キャンパス900番教室(現・講堂)で行われた、
三島由紀夫と東大全共闘の討論会についてのドキュメンタリー
——は、企画倒れに終わるどころか、
たいへん中身が充実しているだけでなく、
当時と未来を見据えた貴重な記録で、ずっと引き込まれて見続けた。
三島由紀夫も、迎え撃つ東大の論客もなにしろ頭脳明晰のため、
立て板に水で繰り出される激論を全てつぶさに理解できたかはアヤシイし、
そこまで頭が良くはなりたくないなと、
高校時代に秀才の集まった高校で落ちこぼれたインテリコンプレックスが久々に沸き上がった。
それでも三島由紀夫にも、
東大の学生側にも反感を抱かないのは、
どちらも共感的立場を崩さず、
相手の意見や声に耳を傾け、
頷けるところは受け入れるから。
相手の言葉や言い分を認めることで、
空間と時間を共有することに意義と価値がしっかりとある。
だから互いに尊重されているので対立や断絶、
わだかまりが生じない。
映画の構成は完璧で、
発見された映像と、それを50年後に公開するにあたり、
必要な追加措置まで文句のつけようのないほぼ完璧ぶりなので、
本ブログであえて追加説明を加えるのは蛇足で失礼にあたるだろう。
本作を見て派生的に考えたことは、
また別の機会にまとめて触れることにしよう。